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隊長ブログ

最近読んだ本

日本人と天皇

日本人と天皇_d0098363_1504315.jpgマンガ 「日本人と天皇」 雁屋 哲 (著), シュガー佐藤
いそっぷ社 (2000/12出版) Amazon中古 1,620円


マンガと解説の二本立てで非常に分かりやすい。
出版はちょっと古いけど、知っておいたほうがいいこと、知りたかったことが満載。

昨年天皇が生前退位を希望しているので、タイムリーで興味深い。

安倍さんたちは、今の天皇限りの特別立法で対応しようとしているけど、天皇の本意とは違う。
今年は天皇の今の政権への出方が注目されることになりそう。

日本社会に蔓延している、天皇批判へのタブー視。
この本はそれを的確に指摘している。

戦後マッカーサーの指示で「象徴天皇」になった意図や経緯などは知られている。
けど、天皇家の歴史が、いかに尊敬に値しないことかは知られていない。
権力側は、天皇制は国民を統治する手段なので暗部は隠されている。
安倍さんたちは、天皇を国家元首にして、憲法改正を目指しているが、海外からの批判は免れない。
天皇を国家元首にという発想は明治憲法に戻るということになる。
明治憲法は国民は臣民といって、天皇の支配する子供ということになる。

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現存する日本最古の本として「日本書記」の中に天皇家の由来や歴史が綴られている。
日本書記は当時の天皇の命で編纂されている。
その皇室の歴史は血なまぐさいことこのうえない。
天皇家の歴史はとても国民が敬う歴史ではない。


また、「君が代」についても今の我々の認識がいかに間違えているか明確にしてくれる。
君が代は、長寿を祝う歌であり、江戸時代は浄瑠璃や小唄として唄われ、正月の祝い唄であり、宴会などのときの締めの唄として庶民になじんでいたという。
君が代の君は決して天皇のことではなく、長寿を迎えた本人であるという。

江戸時代まで、庶民にとってお上とは、藩主のことであり、統治も徳川幕府が行っていたので、庶民にとって天皇という存在はほとんど意識されていなかったという。

つまり、天皇は明治時代から時の権力に使われ始めたということ。
「君が代」は天皇を敬うための、周知徹底の手段として洗脳教育に使われ始めたということ。

天皇に苗字はなく、戸籍もない。
なぜか?天皇だから、われわれはそう信じ込んでいる。
戦後、人間宣言をしたのに苗字もなく戸籍もないなんて、明らかにおかしい。

外国の見方は、ヒトラーと同じくらいの国民を死なせたのに、なぜ日本の天皇は罰せられることなく、戦後も象徴として君臨しているのか、という意見が大半だ。
我々、日本人はそれに明確に答えられない。

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アジアの国々を侵略し、筆舌に耐えがたい行為をしたことに対して、謝罪もしない。
そして、その事実こそが日本人の曖昧さ、責任を取らない国民気質につながっているという。
だって天皇さえきちんと責任を取っていないから・・・・・。
今も我々日本人はその気質で生きている。
天皇については批判を口にしない、という暗黙の了解で生きている。


被災地を見舞う天皇に自然と頭を下げ、感動する庶民。
今年も一般参賀という名のもと、多くの国民が天皇を仰ぎ見て、感動し涙を流す人さえいる。


天皇は男子に限られ、政治には関与せず、誰が選んだわけでもないのに、日本国の象徴であるという。
亡くなっても崩御といい、死亡とはいわない。
労働をせず、国家予算を充てられた存在で、古式ゆかしい儀式の名のもと宮中行事を行っているらしいが、国民はそれがなにに由来するのか、国にとって、どんな意味があるのか知らない。

埋め込まれた認識
天皇だから、皇室だからいいんだ。
しかし、それを子供たちにも、外国の人にも、きちんと説明できない。



君が代 知識
905年、後醍醐天皇の命により「古今和歌集」が編纂された。その中に詠み人知らずで登場。
明治になり、イギリスの軍楽隊長に勧められ、イギリス軍人に作曲してもらった。
しかし、歌詞にあっていなかったので、宮内庁雅楽課に依頼。
1880年、林広守が作曲。海軍省儒教師のフランツ・エッケルトが編曲して完成。









Commented by eblo at 2017-01-02 10:04
正月早々良い記事に出会い何度も読み返しました。
天皇の位置づけについてはいろいろな考えがあると思います。
タブー視もその通りだと実感することが多いです。
戦後処理については、この問題だけでなく納得できないことがたくさんあります。
天皇の発言に興味を持つようになったのは二回目の安倍政権誕生以降です。
君が代は大嫌いでしたが、今日からはここに書かれたことを頭に入れて聞きます。
こんな迫力ある記事をこれからも読ませてください。
(皇室でも武士でもなく血塗られていない、これが我が家系の誇りです)
Commented by 2006taicho at 2017-01-03 21:25
明治維新のとき、徳川幕府の支配から天皇家に移ったとき、時の天皇は15歳(16歳)だったそうです。そこで支配者たちは天皇制を徹底するため、天皇を国家元首として明治憲法を作り、国民はすべて天皇の子供という認識を植え付けました。君が代の「君」は天皇のことだと画策し周知徹底させました。教育勅語などもそうです。皇居での一般参賀で涙する人たちはおそらく信じないでしょう。
by 2006taicho | 2017-01-02 03:28 | 最近読んだ本 | Comments(2)

おかしいことはおかしいと言う


by rei7955