1948年 創刊(隔月刊)
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NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の内容が暮らしの手帖社から抗議を受けているという。
暮らしの手帖といえば、名物編集者花森安治。
その精神が番組に表現されていないのだろう。
私は数回みたけど、実はこれはNHKには無理だと思っていた。
NHKの朝ドラのコンセプトは明るく爽やにという姿勢でずっとやっていて、特に高齢者に人気だ。
最近は特に高齢者を意識した演出で、わざとらしいことこのうえない。
見ていて、こっちが気恥ずかしくなる。
暮らしの手帖といえば、庶民目線を貫いた、気骨のある女性雑誌の代表だ。
そんじょそこらの雑誌とはわけが違うし、こころざしが違う。
それを明るく、さわやかに描くだけではまったく違うものになってしまう。
おそらく、NHKの制作サイドの人間は、この雑誌の歴史と意義を実感として理解するのが困難なくらい若い人たちだと思う。
私の母はこの雑誌を購読していた。
終戦直後、四人の子どもを育てながらだったから、生活は本当に苦しかったと思う。
私が生まれてしばらくは、我が家にはお風呂がなかった。
銭湯などという気の利いたものはなく、私達子どもは母に手をひかれて、母と親しい近所の家にもらい湯に通った。
母が近所の家にお米を借りにいったことを子どもながらに覚えている。
それでも母は、暮しの手帖だけは定期購読していた。
今にして思う。
それは戦後の母達(主婦たち)の、これからの生活への「気概」のようなものだったのではないだろうか。
それまで女性には選挙権も無かったのだから。
子供の頃、わけもわからないまま私も暮しの手帖を読んだ。
読む本がなかったからだ。
唯一の男の子であった我が家に、絵本は一冊しかなかった。
私はその絵本をボロボロになるまで読んだ。
はっきりは覚えていないが、高校生くらいになると、この暮らしの手帖っていう本はいい本なんじゃないかと、わかるようになった。
ひそかに母を見なおした。
我が家には今もこの「おそうざい十二ヶ月」という本がある。
最初の発行は1969年だから、46年くらい前だけど十分今も使える。
亡くなった永六輔氏がラジオで言っていた。
「駆け出しの僕に原稿を頼んできて、暮らしの手帖だからいい加減なことは書けないから、一生懸命書きました。そしたら、どこよりも高い原稿料で、どこよりも早く払ってくれました。それと、この雑誌は広告がない雑誌なんです、それがどれだけ経営する上で大変で、その分どれだけ公平で、この雑誌が目指しているものが高いか、わかるかなあ」
1969年、『暮しの手帖』が101号を迎える(2世紀と読んだ)にあたって、花森が鎭子さんに語った言葉。
世の中、これからの世の中、どう考えたって悪くなる。荒廃する。
結局、政治は国民のためを考えず、自分たちの利益のために、自分たちの票のために。(略)
財界は自分たちの配当優先。儲かることならどんなに人をだましてもいいと思ってる。(略)
われわれ一人ずつは、自由なる市民ではないか。
なけなしの金で税金をはらい、この国家を作っている国民ではないか。
われわれ一人ずつは、お互いの幸福を願っている人間ではないか。
その場合の武器は、ペンである。
われわれはペンをもって戦わなければならない。いまはペンをもてあそんで、文章をもてあそんで、生活の糧にしている人たちが多い。あるいは、すでにペンを武器にしていることを忘れている人が多い。
ペンはさびている。
ペンはなまっている。(略)
(どんなに下手な文字でも、文章でも老若男女を問わず)この雑誌を拠り所にし、根城にして、本当によい暮しをつくるために、一つ一つは力が弱いかもしれないが、このペンの力で、ペンを武器にして対抗していこうではないか。
第2世紀創刊の精神、編集方針だ。(後略)
47年前のことばだ。
最新号
by 2006taicho
| 2016-09-24 04:34
| 知っておきたいこと
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