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隊長ブログ

最近読んだ本

驕れる白人と闘うための日本近代史 /松原久子

今日は長いですよ。文章が。





ヨーロッパ人の親しい友人がいない。
いたら良かったのに・・・などと思う本にであった。

驕れる白人と闘うための日本近代史 /松原久子_d0098363_1312090.jpg

この本は作者がドイツ語で書き、日本の友人に和訳を依頼した経緯がある。
つまり、ドイツでの活動期間が長いということになる。
072.gif松原久子 1935年生 京都府出身 詳細はwiki



ヨーロッパの人々は、世界史は自分たちの歴史そのものだと、思っているフシがあるらしい。
大航海時代、欧米人がいかに華々しく世界に発展したか、すべてがヨーロッパから発展したという考えだ。
そのあいだ、日本などという島国は、寺を建て、米を作る以外はほとんど眠っている人種だった。
開国してからは、ヨーロッパ人から学び、またたく間にのしあがったが、常にヨーロッパ人の猿真似して来ただけである。その後いくらか自分なりの工夫をして経済大国になったが、どこまで続くか疑問である。なぜなら彼らには歴史の蓄積がないからである。
ヨーロッパの人々の日本観はこんなものらしい。
なんとなくわかる気もする。
少なくとも世界の歴史は自分たちが主導してきた、というプライドあるらしい。
アフリカや中南米やアジアのことは自分たちに追随した歴史のように捉えているらしい。
なるほどなあと、なぜか思う。
筆者はその原因は自分たち以外の文明がどうやって形成されたのか、真面目に考察しようとしないからだと言う。

日本には刀をさげたサムライがいて無口だがいざとなると一閃のもとに人を斬る、と言われた。
日本の女性は従順で忍耐強く、献身的で、文句を言わず、着物を着て、夫の三歩後ろを歩いている、と言われた。
日本人は猿真似が得意、とよく言われた時代がある。
現在は言われなくなった、なぜか。
戦後の日本は驚異的な発展を遂げた、それはなぜか。
筆者は江戸時代の鎖国からの日本の歴史に遡り、考証・解説してくれる。



江戸時代の日本の人口は約3000万人。そのころは村(村落共同体)が6万もあった。農民たちは土地は村ごとで管理していた。土地の売買は固く禁止されていた。土地の所有者は大名ではなかった。
年貢も大名が一方的に決めるのではなく村の代表が交渉に行くことができた。
農民は婚姻以外での移転が許されなかった。そのかわり旅行は自由だった。旅費は積立金の中から出され、彼らは地方の土地を訪ね、米作りなどその土地の農法を学んだ。土地の気候など特色を生かした農法を学んだ。手に持ちきれないほどのお土産を持って帰ってきた。それは漁民も同じだった。魚を取る漁法、網のつくりかた、知らない土地を歩いては学んだ。農民は堤防工事や測量技術、治水工事などに精通していた。そうでなければ田んぼの管理はできないし米は作れない。またほとんどの村には寺子屋があり農民のほとんどは読み書き、算盤ができた。
道路網や港湾は整備され、水路は網の目のよう作られ、貨物船、漁船、馬車、などで物資の運搬が盛んに行われていた。街道には要所要所に馬屋があり、旅館や温泉宿があった。
飛脚(郵便屋)も必ず二人一組で街道を走り、幕府の書類を届けるときはたとえ大名といえども道を空けなければならなかった。

将軍は世襲制であったので用心のために必ずお目付け役の老中をおき、時の将軍が仮に将軍に不適であってもそれを補ってあまりあった。天皇と将軍の土地は広大であり彼ら年貢はその土地で間に合うように計算されていた。農民たちから余計にとりたてるなどということはなかった。
農民たちに移動の自由を与えないという幕府の考えは功を奏した。
農民たちは自分たちで話し合い、自治が芽生え共同体意識が生まれた。どんなに不満があってもいくところがないのだから。、不満は話し合いで解決するしか方法がなかった。富の分配は適切だった。
ヨーロッパの貴族たちが行った、家畜のような扱いを受けることはなかった。


士農工商の手工業者と商人は幕府の関心の外だった。彼らはあわせて300万人おり全人口の10%だった。
つまりサムライと農民で90%だったせいもあるのかもしれない。
飢饉のときは暴動があった。台風や伝染病が流行したときは一揆も起こった。しかしそれは200年以上という長い期間から見れば極短期間のことだった。

のちに京都を中心に織物が盛んになり、家内制手工業の発端となった。そのころの農家の収入の半分以上はこの織物での収入だった。そして同時に職人とそれを習う職人予備軍ができていった。
同時に銀行も生まれ、織物業に投資するものが現れた。

郵便と銀行と学校はヨーロッパより数段早く整備されていた。
作者はそのことを日本人に知ってもらいたいと望んでいる。

日本は革命を経験していない。
それは上述のように富の極端な差がなかったことと、幕府の巧みな人身掌握術のおかげともいえる。
もしヨーロッパの貴族たちのような圧制をしいていたら、この狭い国土は焼土と化していただろう。
村という共同体意識のおかげで日本の国内の環境や産業は整備されつくしていた。
そのことを知らない欧米人には奇跡の発展にみえるのだ。
東洋の果てのとるに足らない国だと思っていたのだから。

インドや中国をはじめアジアの国は欧米の殖民地となったが、日本だけは殖民地にはならなかった。
当時の幕府の抵抗のおかげだった。
しかし、開国をしてからは理不尽な条約を結ばされた。
外国人だけの駐屯地があり、軍事基地は広大で治外法権だった。
外国人が犯罪を犯しても日本の法律は適用されなかった。
貿易はすべて管理された。
輸入も輸出は、その商品、数量、価格はすべて外国人が決めた。
関税は5%と決められ、すべての商品に適用された。
そしてそれは第二次世界大戦が終わるまで続いた。

開国後の日本は武力による圧力を痛感した。
今まで決して採らなかった方策の強さに圧倒されて、その道を突き進んだ。
沖縄の基地問題、地位協定、TPP交渉・・・・・・・・。
鎖国を解いたときから現在まで続いている。
by 2006taicho | 2014-04-16 01:40 | 最近読んだ本 | Comments(0)

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by rei7955