電力契約の変化

d0098363_21493116.jpg
2000年3月の電力自由化で、大手企業や自治体が東電など従来の電力会社から、新電力へ乗り換えている実態が明らかになった。これは原発15基分に相当する。(東京新聞が独自に調査-やるなあ)
神奈川県やローソンでは年間2億4000万以上の電気代削減となっている。

自由化の流れは下記。
d0098363_2264838.jpg
来年4月からは一般家庭にも適用される。
ちなみに新規参入業者は700社以上もある。
各社はポイントサービスなど、今までにないサービスを提供するなどして他社との差別化を目指す。

背景として、再生可能エネルギー分野での特許件数は日本が55%,米国21%、欧州7%、国際出願、韓国、中国と続く。
日本は断然トップにいることが挙げられる。
技術の革新が経済を活性化し、新たな雇用を生み出す。
日本のお家芸?

政府は2030年までに原発稼働率20~22%を目標にしている。
この流れでは目標達成が難しくなるので、大手電力各社を救うための、なんらかの策を打ち出すだろう。
原発再稼働なんて全く必要ないことが明らかになっていくだろう。

電力会社出身の議員は、国会議員をはじめ全国の市町村にいる。
政府の原発政策がこれからどうなっていくか、
原発を抱えている各社が今後どいういう動きをするか、
興味深い。

我が家も来年4月からは電力会社が選べるなんて、どうしたらいいんだろう。
とりあえずはネットで調べるしかないかな。
今まで当たり前で信じ込んでいたものが、変わってゆく。
「なんか変だ」という発想の大切さ。
[PR]
by 2006taicho | 2015-09-07 22:41 | 近況 | Comments(0)


何よりも必要なことはエネルギー消費を抑えること
エネルギーと寿命
人類を他の生物と区別して人類らしくしたものは火や道具の使用でした。そして、エネルギーの消費は人類の寿命にも密接に関係しています。図 16 に過去の日本のエネルギー消費量と寿命との関連を示します。
d0098363_015019.jpg


現在、日本は世界一の長寿命国になっていますが、100 年前は、日本人の平均寿命は 40 歳代でした。当時はまだ日本では電気すらろくに使えない時代でしたし、一人ひとりのエネルギー消費量も現在の私たちに比べれば 10 分の1ほどしかありませんでした。ただ、図 16 を細かく見れば、幾つか大切なことに気づきます。
第1に、利用できるエネルギー量が絶対的に少ないと人は長生きできないと言うことです。
第2は、絶対的に不足していたエネルギー消費量をわずかに増加させることができれば、寿命が飛躍的に延びるということ、
そして第3に、ある程度以上のエネルギー消費は寿命の延長に役に立たないということです。
1960 年代の高度成長期やバブル期を含めた 1990 年前後には、エネルギー消費は急激に伸びましたが、その期間における寿命の延びはほんのわずかでしかありません。今の日本では、生きることではなく、贅沢をするためにエネルギーが使われています。

地球の歴史と人類の歴史
地球は 46 億年前に誕生したといわれます。
誕生当初の地球は生命が根付くには過酷過ぎ、生命が誕生するまでには数億年の時の流れが必要でした。
40 億年前に生まれた生命は、おそらくは今の常識から言えば、生命と呼ぶにはあまりにも原始的なものだったでしょう。その後、様々な生物種が生まれ、そして滅びました。
人類と呼べるような生物種がこの地球上に誕生したのは400 万年前とも 600 万年前とも言われますが、地球や生命の歴史に比べれば、人類の歴史などいずれにしても 1000 分の 1 の長さでしかありません。
もし、地球の歴史を 1年として1月1日から時をたどれば、人類が発生したのは春も夏も秋も過ぎ、冬が来て、大晦日の午後になってからに過ぎません。
その人類は現在地球上で栄華を極めていますが、人類が今日のようにエネルギーを膨大に使い始めるようになったのは 18 世紀末の産業革命からで、それ以降わずか 200 年しか経っていません。
それを地球の歴史を 1 年と考える尺度に当てはめれば、大晦日の夜 11 時 59 分 59 秒にしかならず、残り 1 秒のことです。
その 200 年の歴史で人類が使ったエネルギーは人類が数百万年で使った全エネルギーの 6 割を超えます。

産業革命以降の生物の絶滅
そのため、地球の生命環境は危機に瀕しています。
命あるものいずれ死ぬのは避けられません。個体にしてもそうですし、種としての生物もそうです。
地球上には、これまでにもたくさんの生物種が生まれては滅んできました。数千万年前までこの地球を支配していたといわれる恐竜たちも、忽然と姿を消しました。
その原因は、宇宙からの巨大隕石の落下だという説もあれば、肉体が巨大化しすぎて生命を維持できなくなったとの説もあります。
しかし、恐竜たちからみれば、いずれにしても万やむをえない理由で絶滅に追い込まれたのでしょう。人類も一つの生物種として、いずれは絶滅します。ところが、図 17 に示すように、産業革命以降のエネルギー浪費と軌を一にして、人類は地球上に住む多くの生物種を絶滅に追い込んできました。
d0098363_021025.jpg


この絶滅は温暖化のためにもたらされたのではありません。
人類がエネルギーの浪費をしながら、地球の生命環境をさまざまな形で乱開発してきた結果です。それは今現在でもいっそうひどい形で続いています。


エネルギー消費の格差
ただし、地球の生命環境を破壊している罪は人類に等しくあるのではありません。
世界でエネルギーがどのように分配され使用されているかを図 18 に示します。
d0098363_02239100.jpg


一人当たりの消費量で言えば、最もエネルギーを消費している国と最もエネルギーを利用できない国とでは 1000倍の格差があります。また、私たち日本人一人
ひとりも世界平均の約2倍、アジア諸国に比べれば 10 倍から 100 倍のエネルギーを使っています。
また世界人口を四つにわけ、エネルギーをたくさん使う順番に「工業文明国
(いわゆる先進国)」、「工業文明追従国(いわゆる発展途上国)」、「第三世界の
半分」、「極貧の第三世界」としましょう。
それぞれのグループには、いずれも約16 億人の人間が含まれます。そしてそれぞれのグループが世界全体で使うエネルギーのどれだけの割合を使っているかを考えてみます。まず、「工業文明国」の人間が、エネルギー使用量全体の 68%を使ってしまいます。次に「工業文明追随国」が 17%を使い、世界人口の半数を占める第三世界の人々には、全体のわずか 15%しか残されません。
第三世界の中でも奪い合いがあり、強い方のグループが全体の 10%を使い、最
もエネルギーを使えない「極貧の第三世界」はわずか5%しか使えません。

世界の国々の平均寿命
図 16 は日本という一つの地域について、時間的なエネルギー使用量の変化を尺度として寿命がいかに変わるかを示しました。
同じことは、今日というある時刻の中での、世界各国のエネルギー使用量の違いを尺度にしても言えます。図 19 に世界各国のエネルギー消費量と寿命との関係を示します。
d0098363_0244738.jpg


上部に横に長く分布している「エネルギー浪費国家群」では、現在の日本がそうであるように、エネルギー使用量をいくら増やしても寿命を延ばすことはもはやできません。
逆に、図の左の軸周辺に「エネルギー窮乏国家群」として示した国々の中では、使用できるエネルギー量が絶対的に欠乏しているため、生命自身を維持できない国があります。
そうした国の中には平均寿命がいまだに 30~40 歳代の国があります。もし、そうした国で、エネルギー消費を少しでも増やすことができれば寿命は飛躍的に長くなりますが、残念ながら世界の政治の状況はそれを許しません。

環境破壊の責任はごく一部の「先進国」にある
種としての人類が地球環境を破壊してきて、今またそれを加速していることは確実です。
しかし、人類の内部を見れば、一方には生きることに関係ないエネルギーを厖大に浪費する国がある一方、生きるために必要最低限のエネルギーすら使えない人々も存在しています。
今この地球上には、11 億もの人々が「絶対的貧困(1日1ドル以下で生活し、食べるものがない、きれいな飲み水がないなど、生きていくのに最低限度必要なものさえ手に入れることのできない状態)」に喘ぎ、5億の人々が飢餓に直面しています。
「先進国」に住む私たちが贅沢な暮らしをすれば地球環境はますます悪化しますが、悪化に対処することができない貧しい国々の人々はますます苦況に追いやら
れます。


危機的な日本の環境
日本においては 1880 年代以降、50年で 10 倍になるような率でエネルギー
消費の拡大を続けてきて、現在、日本への日射量の総量に比べて約 0.6%のエネルギーを人為的に消費しています(図20 参照)。
d0098363_0274269.jpg


太陽から地球に届くエネルギーのうち、3 割は地球の大気表面で直接反射されてしまいますし一部は雲で反射され、地表に達するのはまた一部になります。
また、地球に達する太陽エネルギーのうちわずか 0.2%のエネルギーで、風、波、空気の対流など、私たちが自然現象と呼んでいる現象が起きています。
日本への日射量と比較するとそれはほぼ 0.66%になります。
つまり、今現在、私たちは日本で自然現象起こしているエネルギーとほぼ等しいエネルギーを人為的に使っていることになります。
もし、このままエネルギー消費の拡大を続けるならば、数年後には日射量の1%、2050 年には 10%、2100 年には太陽が日本に与えてくれているエネルギーと等しいだけのエネルギーを人為的に消費することになってしまいます。
そうした時代がどんな時代になるか人類には経験がありません。
またそれを予測できるような学問もありません。しかし、かりにその時代の日本においてまだ人が生きられたとしても、従来と同じスピードでエネルギーの浪費を続けるかぎり 2150 年には日射量の 10 倍、2200 年には 100 倍のエネルギーを使うことになってしまいます。
そのような未来に人類が生き延びられないことは当然です。エネルギーの浪費に慣れてしまった日本人にとって、エネルギー消費を抑えることは容易なことでありません。そのため、多くの日本人は消費を抑えることなど出来ない、もっと便利に暮らしたいと言います。しかし、できなければ、自らの生きる環境を失うだけです。


危機の顕在化はどこで
現在騒がれている地球温暖化問題は、地球全体で進行する危機を扱っています。
しかし、危機は地球全体だけでなく、個別地域的に起こってきました。日本で起きた数々の公害もそうでしたし、ヨーロッパの酸性雨もまた地域的に多大な被害を生じました。
核実験による放射能汚染にしても、もちろん全地球的な汚染もありましたが、実験場周辺での被害が深刻でした、同じことはチェルノブイリ原子力発電所の事故でもいえます。温暖化ということであれば、都市のヒートアイランド化も問題でしょう。
世界各国が、それぞれの国に降り注ぐ太陽エネルギーに比べて、どれだけのエネルギーを消費しているかを図 21 に示します。
d0098363_03712100.jpg


太陽からの入射エネルギーの 0.2%で自然現象が起きているのに対して、シンガポールのような非常に狭い地域を限定的に考えれば、すでに太陽エネルギーの3%を超えるエネルギーを人為的に使っています。
日本の国土は 37万 8000km2 あり、シンガポールや香港に比べれば、はるかに広い地域ですが、それでもすでに 0.17%に達しています。
もちろん、世界全体を見れば、エネルギーをほとんど使っていない国々もありますが、危機が顕在化するのは、図 21 に引いた黒の点線に近い国々でしょう。
日本という国も危機の最先端にいることが分かります。
地球温暖化問題が現在の最重要課題だと言っている人たちは、自分が関わっている課題だけしか見えなくなって、広い視野を忘れています。それは、「温暖化予測業界の論理でしか考えられなくなった」と彼ら自身が自戒を込めて書いている通りです。

少欲知足
いったい、私たちはどれほどのものに囲まれて生きれば幸せといえるのでしょう?
人工衛星から夜の地球を見ると、日本は不夜城のごとく煌々と夜の闇に浮かび上がります。建物に入ろうとすれば、自動ドアが開き、人々は階段ではなくエスカレーターやエレベータに群がります。
夏だというのに冷房をきかせて、長袖のスーツで働きます。そして、電気をふんだんに投入して作られる野菜や果物は、季節感のなくなった食卓を彩ります。
地球温暖化、もっと正確に言えば気候変動の原因は、日本政府や原子力推進派が宣伝しているように単に二酸化炭素の増加にあるのではありません。産業革命以降、特に第二次世界戦争以降の急速なエネルギー消費の拡大の過程で二酸化炭素が大量に放出されたことは事実ですし、それが気候変動の一部の原因になっていることも本当でしょう。
しかし、生命環境破壊の真因は、「先進国」と呼ばれる一部の人類が産業革命以降、エネルギーの膨大な浪費を始めたこと、そのこと自体にあります。
そのため、多数の生物種がすでに絶滅させられたし、今も絶滅されようとしています。地球の環境が大切であるというのであれば、二酸化炭素の放出を減らすなどという生易しいことではすみません。
すでに述べたように、人類の諸活動が引き起こした災害には大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業廃棄物、生活廃棄物、環境ホルモン、放射能汚染、さらには貧困、戦争などがあります。
そのどれをとっても巨大な脅威です。温暖化が仮に脅威だとしても、無数にある脅威の一つに過ぎませんし、その原因の一つに二酸化炭素があるかもしれないというに過ぎません。
日本を含め「先進国」と自称している国々に求められていることは、何よりもエネルギー浪費社会を改めることです。あらゆる意味で原子力は最悪の選択ですし、代替エネルギーを探すなどと言う生ぬるいことを考える前に、まずはエネルギー消費の抑制こそに目を向けなければいけません
残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。
種としての人類が生き延びることに価値があるかどうか、私には分りません。しかし、もし地球の生命環境を私たちの子供や孫たちに引き渡したいのであれば、その道はただ一つ「知足」しかありません。一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには苦痛が伴う場合もあるでしょう。当然、浪費社会を変えるには長い時間がかかります。
しかし、世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての叡智を手に入れる以外にありません。私たちが日常的に使っているエネルギーが本当に必要なものなのかどうか真剣に考え、一刻でも早くエネルギー浪費型の社会を改める作業に取り掛からなければなりません。

「原発のうそ」 小出裕章・著


足りるを知る、これを読んで頭に浮かんだのは「里山資本主義」という本。
地震などの災害にあったとき、都市部よりも田舎のほうが対応し易い。まあ、これは当たり前と言えば当たり前。都会は田舎くささを排除して生きようとする傾向が基本だからだ。
つまり、そろそろそのへんから変えていかなければいけないということか。
都市と言う言葉との中間に、「地方都市」というのがある。「田舎」はそのあとなのかもしれない。
「不便を楽しむ」という認識が必要な時期になってきたのかもしれない。
そういう芽はすでに芽生えていると思う。スローライフとか呼ばれて定年退職組がやっているライフスタイルが代表的。
レンジでチンして、という便利さは本当は豊かでも何でもない、という認識。
急がない時間、時間をかける、時間を楽しむという感覚意識が必要なんだろうと思う。
[PR]
by 2006taicho | 2015-06-09 00:43 | 原発 | Comments(0)



温暖化と二酸化炭素の因果関係

d0098363_6281418.jpg

温暖化は19世紀初めから人類による化石燃料の消費が急速に進み、二酸化炭素放出が激増したのは、第二次世界戦争後、つまり 1946 年以降のことです(図 11)参照)。

d0098363_6284224.jpg

では、現在観測されている地球の温暖化という現象はいつから起きているのでしょう?
1800 年です(図 12)参照)。



つまり人類による二酸化炭素放出が始まる前から温暖化の現象は起きており、これは地球の自然の現象です。
19 世紀と20 世紀前半の気温の上昇速度は 100 年に 0.5 度程度でした。それが 20 世紀後半になって先に述べた様に 100年に 1.3度程度に上昇率が増えているようにみえます。そのため、二酸化炭素を悪者視する IPCC すら 20世紀後半の温暖化に限って二酸化炭素が主因だと主張しているにすぎません。


しかし、20世紀後半の温暖化に二酸化炭素の影響があるとしても、地球上の生命環境を破壊してきた原因は、多様な人間活動そのものにあります。

二酸化炭素放出など人類の諸活動のただ1つに過ぎませんし、生命環境破壊の原因のすべてを二酸化炭素に押し付けることはもともと間違っています。その上、二酸化炭素濃度の増加が地球温暖化の原因だとする主張とは、逆の結果を示しているデータもあります(図 13))。

d0098363_6344348.jpg

この図は、よく議論されているように、二酸化炭素の長期的上昇傾向を差し引いた上でのもので、二酸化炭素濃度の上昇自体は前提にされています。しかし、それでもなお気温が上がった後に二酸化炭素濃度が増え、気温が下がると二酸化炭素濃度が減る、つまり、気温が上下することで二酸化炭素が上下していることを示しています。
どうしてそうなるかも説明できます。
すなわち、先に書きましたとおり、地球上の二酸化炭素はそのほとんどが海水中に溶け込んで存在していています。気温が上がることで、海水の温度が上がり、海水に溶け込んでいた二酸化炭素が大気中に出てくることは当然です。このように、地球の大気温度の変化、二酸化炭素濃度の変化は、お互いに影響し合う関係にあるし、その要因も複雑です。

d0098363_6575792.jpg

地球温暖化の要因には自然要因もあるし、人為要因もある自然は大変複雑な系です。その地球の温度も地球誕生以降大きな変動を繰り返してきました。人類などまだ誕生する以前には現在よりさらに高温だった中生代があり、恐竜たちが生きていました。新生代に入っても、大きな氷河期を4回も経験し、現在は4番目の氷河期が終わった温暖期にあります。現在問題にされている最近 150 年間の温度増加など高々0.8 度程度でしかありませんが、それぞれの氷河期とそれが終わった温暖期の気温には約 10 度もの違いがありました(図 14)参照)。


それでも、北極の白熊を含め、こんなこ 図14 氷河期と間氷期の環境図1とで絶滅はしませんでした。現在、北極の白熊などが絶滅の危機に瀕しているのは温暖化のためではなく、人類が地球上にはびこりすぎ、他の生物の生命環境を侵食してきたからです。
地球の温度に影響する原因のうち、人為的要因でない自然の要因にも、地球の歳差運動が関係するミランコビッチサイクル、太陽活動による変動サイクル、エル・ニーニョやラ・ニーニャなど地球自体の要因、さらには火山の爆発などの要因もあり、大気中の二酸化炭素濃度も気温も長い周期、短い周期、あるいは大幅小幅にと多様な変化をしてきました。観測している地球の平均気温も大気中の二酸化炭素の濃度もそれらすべてが関係しながら変動しています。


d0098363_659593.jpg


図 15に示すように、ここ数年は、温暖化どころか地球は寒冷化しています。IPCC の関係者は、これは小さな変動でいずれまた温暖化に向かうと主張していますが、そうかも知れないし、そうでないかも知れません。人為的な要因が地球を温暖化させている可能性は高いと私は思いますし、「予防原則」を適用して、その温暖化を防止しようということも必要かもしれません。しかし、すでに述べたように、それは科学の議論ではなく政治的、政策的な議論の範疇に入ることです。

人類の諸活動が引き起こした災害には、大気汚染、海洋汚染、森林破壊、酸性雨、放射能汚染、さらには貧困、戦争などがあり、温暖化はそのうちの一つに過ぎません。
そしてその温暖化の原因の一つの要因に二酸化炭素があるというに過ぎません。それにもかかわらず、二酸化炭素の放出を減らすことが、何よりも大切だと多くの人が思わされています。地球温暖化問題は現時点では、科学的な根拠が薄弱なまま、政治的に引き回されています。

「原発のうそ」 小出裕章・著



人間の近代化の歴史はたかだか70年なんですね。
ただ、その経済発展のスピードがすごいということ。
co2の急激な増加はやっぱり、1945年戦後からなんですね。
しかし、一方で温暖化は1800年初頭から。100年以上前から始まっている。

小出氏の主張は、地球の温暖化は二酸化炭素が原因だということを鵜呑みにしないこと、否定はしないが、根拠が希薄だと、それを政治的に使われていると指摘。
確かに温暖化=イコール二酸化炭素というふうにわれわれの頭に刷り込まれている。
[PR]
by 2006taicho | 2015-06-08 07:02 | 原発 | Comments(0)




2011年
東京都の石原都知事が今後10年間で50万トンの瓦礫受け入れ表明。都には抗議の電話が殺到した。
反対派の言い分は、日本国内にある焼却炉のほとんどには、放射能大気拡散を防ぐフイルターがついていないからだ。
しかし、石原都知事は反対派を一喝、2011年11月3日、最初の瓦礫30万トンが到着した。
その現場で、東京都はなぜか取材陣に対し独自のガイガーカウンターでの測定を禁止した。

d0098363_2143853.jpg


都環境局はこの処理をする業者を10月に公募した。
募集内容には高度な焼却処理施設を持つ会社であることが条件づけられていた。
応募要領には「バグフイルター及び温式排煙脱硫装置を備え、1日100トン以上の処理能力を持つ都内の産業廃棄物処理施設で焼却すること」となっている。
だが、都内に1日100トン以上の処理能力のある施設は1社しかない。
江東区の「東京臨海リサイクルパワー㈱」だけだ。
都は年70億円を計上、受け入れ予算は3年間で280億円でこれは国一般会計補正予算から出ている。
この「東京臨海リサイイクルパワー」という会社、95.5%東京電力が出資している子会社だ。
東京電力は、瓦礫処理にかかる費用は一切負担しなくていいどころか、利益を得て、さらには瓦礫焼却による発電からも利益を得られることになる。
東電に天下りした官僚の半数が東京都の幹部が占めている。(二位は経済産業省)東京都はまた東京電力の大株主でもある。

除染モデル事業を受注したのは、大林、大成、鹿島の3社。
実際の作業も地元ではなく系列の下請け会社に依頼された。
期待していた地元業者はそのやり方に不満を漏らす。
この3社は同時に、国内の原発建設実績トップ3だ。
東京オリンピックの影響で建築資材は値上がり、おまけに人手不足。
東北の復興は遅々として進まない。

原発を作る時も、事故を起こしても、同じ連中に金が入る。
㈱貧困大国アメリカ 堤 未果著から引用



記者会見ではそろって頭をさげ、その裏ではこんなことをやっている。
住民に伝えるべき情報も積極的伝えようとしない
これだけの事故なのに誰も責任を取らない。

海外では世界最大の原子力事故と伝えているが、日本の場合はなぜかそういう表現はしない。


電気がなければ立ちゆかない現代。
ひとたび事故が起これば国は、「ただちに人体に影響はない」を繰り返す。
それは、アメリカの原発事故のときの政府の対応と、一緒だった。
[PR]
by 2006taicho | 2015-05-20 02:27 | アピール | Comments(0)

関西電力元副社長の証言



こういうニュースは既存のメデイアでは流されない。
多くの人が知っている通り、超有力スポンサーである、電力会社の広告費には勝てないからだ。


結局、お金に群がる人々の卑しさしか感じない。
そして、これは氷山の一角だろうと思える情けなさ。

せっせとお金を稼ぐことが成功につながるという、貧しい発想。
「お金さえあれば」という卑しい人生観。

自民党をはじめとする、そういう政治家を選挙のときに選んだのはわれわれ大人たち。


日本人はそういう裏の事情を熟知している人を「オトナ」と見る向きがある。
物事を正面からとらえる人を「まだ青い」「青二才」「苦労が足りない」とかいう。
そういう発想が、こういう裏金の存在を暗に認める土壌を作り出している。

子供たちや、若者たちがこれに毒されていけばどうなるのか、今の時代が端的に示している。
[PR]
by 2006taicho | 2015-03-17 09:04 | 原発 | Comments(0)

起訴相当

原発事故直後から一部の人たちはずっと指摘していた。
「事故は東電の犯罪ではないのか」


こういう行動は本当に重要だと思う。

運動の源泉は「怒り」だと改めて思う。
怒りのないところに本当の運動はないし、仮にあってもそれは自己満足。




検察審査会:福島原発告訴団が「市民常識にかなった決定」
毎日新聞 2014年07月31日 14時07分(最終更新 07月31日 19時36分)
d0227405_0145615.jpg

東京電力福島第1原発事故を巡り東電元会長らを「起訴相当」とした検察審査会の議決を受け、記者会見する福島原発告訴団の武藤類子団長(中央)ら



 ◇東電旧経営陣「起訴相当」議決に

 東京電力福島第1原発事故を巡り、東京第5検察審査会が31日、業務上過失致死傷の疑いなどで告発され、東京地検が不起訴とした東京電力の勝俣恒久元会長(74)ら元東電幹部3人について、「起訴相当」とした議決。「市民の常識にかなった決定で、感動的な内容。よくぞここまで踏み込んでくれた」。審査を申し立てた「福島原発告訴団」の河合弘之弁護士は31日、東京・霞が関で会見し、議決内容を持ち上げた。

 会見には、告訴団の一人で東京在住の小川幸子さん(64)も参加し「私たちや福島の人たちの思いを受け止めてもらってありがたい」と笑顔を見せた。河合弁護士は「勝俣元会長ら一番の責任者を逃さなかったことが重要。(他の2人も)実質的な権限者。津波予測を握りつぶした具体的な行為者だ」と非難し、検察審査会の判断について「検察の古い形式論理にとらわれた決定に鉄ついを加え、意義がある」と語った。

 ある検察幹部は「審査会は通常想定される予見可能性だけではなく、最悪のケースを想定した対策を講じる義務があると判断したのだろう。再捜査するしかないが、想定外の津波の予見可能性を認めるのはやはり難しいと感じる」と語った。

 中原亮一東京地検次席検事は「審査会の議決内容を十分に検討し、適切に対応したい」とコメント。東電は「議決へのコメントは差し控えるが、要請があれば捜査に真摯(しんし)に対応します」としている。

 「福島原発告訴団」の武藤類子団長(60)は「起訴相当の議決が全員でないのは残念だが、原発事故は予測できたはずで、3人については妥当だ。市民の代表の検察審査会が決めたことは意義がある」と話した。

 ◇東京第5検察審査会の議決

勝俣恒久元会長起訴相当

鼓 紀男元副社長不起訴相当

小森明生元常務不起訴不当

武藤 栄元副社長起訴相当

武黒一郎元副社長起訴相当

榎本聡明元副社長不起訴相当

(議決順)


[PR]
by 2006taicho | 2014-08-01 00:18 | News | Comments(0)



<原子力協定:輸出可能の承認案、衆院通過 欠席や退席も>
毎日新聞 2014年04月04日


 日本からトルコ、アラブ首長国連邦(UAE)両国への原発輸出を可能とする原子力協定の承認案が4日、衆院本会議で自民、公明、民主3党などの賛成多数で可決された。日本維新の会、みんな、結い、共産、生活、社民は反対した。参院での審議を経て、月内にも承認される見通し。ただ、党方針と異なる脱原発、原発推進の双方の立場から欠席、退席も相次いだ。

 原子力協定は、平和利用に限定して他国に原子力関連機材や技術を提供するための取り決めで、原発輸出の前提条件となる。

 原子力協定を推進する自民党からは、秋本真利衆院議員が退席した。自民党は秋本氏から近く事情を聴く方針。

 民主党は与党時代に原発輸出を推進した経緯から、反対論を抑え賛成に回った。ただ、本会議には、脱原発を訴えてきた菅直人元首相、辻元清美幹事長代理らが欠席。生方幸夫幹事長代理と近藤昭一党総務委員長が退席した。

 維新では、一時賛成の意向を表明していた石原慎太郎共同代表が欠席した。菅、石原両氏は体調不良を欠席の理由としている。



福島の事故の対応も不十分なのにこういう法案が通ることが信じられない。
地震や津波がないところだからという理由なんだろうか。
地震大国に50基も作ったことの言い訳にもならない。
日立や東芝といった原発企業の影が気になる。
しかもこの企業は武器輸出まで企てている。
[PR]
by 2006taicho | 2014-04-07 19:58 | News | Comments(0)

youtubeで原発の問題に触れた動画は沢山ありますが、これは原発現場で20年間、現場監督を務めた人の証言です。

23年前に「原発被曝労働者救済センター」を設立しています。
16年前に亡くなられているので、福島原発事故のことはご存じありません。
そのうえでこの公演を聞くと「志」の高さに敬服します。



平井憲夫(ひらい のりお、1939年 - 1997年1月)

岡山県倉敷市生まれ。
石油化学プラント建設会社に入社し、千代田化工建設、日立製作所グループの吉田溶接工業、東京電力福島第一、第二、中部電力浜岡、日本原電敦賀、同東海など、沸騰水型原発の建設、定期検査における配管工事の監督を20年以上原発で勤めた。
1988年退社後、1990年「原発被曝労働者救済センター」を設立、代表として原発工事で被曝する労働者の救済にあたりながら、全国で講演活動を繰り広げた。
各原発建設現場の実態を法廷で証言する。
58歳没。

この動画は1時間46分あります。
時間がない人は下記文章でどうぞ。





 私は 原発反対運動家ではありません

20年間 原子力発電所の現場で働いていた者です

原発については賛成だとか 危険だとか 安全だとかいろんな論争がありますがね私は 「原発とはこういうもんですよ 」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします

そして 最後まで聞いていただくと、原発が皆さんが思っていらっしゃるようなもんじゃなく毎日,被曝者を生み大変な差別を作っているもんであることがよく分ると思います

初めて聞かれる話もあると思います
どうか、最後まで聞いてそれから原発をどうしたらいいか、皆さんで考えられたらいいと思います
原発について 設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないんです

しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません

私は、プラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です20代の終わりごろに、日本に原発を作るというのでスカウトされて、原発に行きました
一作業員だったら、何十年いても分かりませんが現場監督として 長く働きましたから 原発の中のことはほとんど知っています


  安全は机上の話

去年(1996年)の、一月十七日に阪神、淡路大震災が起きて国民から 「地震で原発が壊れたりしないか」「本当に大丈夫か」と言う不安の声が高まりました

しかし 決して大丈夫ではありません
国や電力会社は 「耐震設計を考え、硬い岩盤の上に建設しているから安全だ」と 強調していますが、
これは机上の話です

この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りに原発との共通点の多さに改めて考えさせられました
まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。
しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。
一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。
その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。
それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。

  素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。
それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。
机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。
しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。
しかし、これは設計の段階までです。
施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。
職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。
それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。
全くの素人を経験不問という形で募集しています。
素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。それが今の原発の実情です。

 例えば、
東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。
本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。
そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。
マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、
現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。そうすると、
今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。
こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。
原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。
これではちゃんとした技術を教えることができません。
それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。
だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。
30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。
そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。

   名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。
しかし、その検査体制が問題なのです。
出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。
検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。
そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。
メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発の事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。
原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。
私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。
その人は「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。
そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。
美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。
このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。
なぜ、専門官が何も知らなかったのか。
それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。
だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。

この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。
この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。
ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。けれども大変な権限を持っています。
この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。
私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。
つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。
だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。
そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。
このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。

  いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。
私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。
それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。
1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。
なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。
わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。
これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。
5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。
つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、
1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。
これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。

  定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。
原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。
そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能、放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。
そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。
防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。
放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。
つまり、防護服は放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。
作業している人を放射能から守るものではないのです。
だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。
体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。
それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。
普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。
お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。
言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。
そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。
作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。
分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。
だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。でも現場には時計がありません。時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。アラームメーターが鳴るのが怖いですから。
アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。
これは経験した者でないと分かりません。
ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。
ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。すると、どうなりますか。

  放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。
はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。
日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。
原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。
それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。
排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。
こういう所で魚の養殖をしています。
安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。
このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。
「私はいままで原発のことを知らなかった。今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに「悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから」って言われた。原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かったどうしたらいいのか」って途方にくれていました。
みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。


  内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。
物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。
どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。
体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。
原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。これが非常に怖いのです。
どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。
癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。
でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。
じゃ死ぬ前になにかやろうと。
原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。

  普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。これが怖いのです。日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。
でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。
これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。
電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。
動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。
行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。
ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。
放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。

3/2へ
[PR]
by 2006taicho | 2013-12-10 08:17 | 原発 | Comments(0)

 「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

 原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。
日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、そのほとんどが原発作業者です。
今も九万人くらいの人が原発で働いています。
その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育 を約五時間かけて行います。
この教育の最大の目的 は、不安の解消のためです。
原発が危険だとは一切教えません。
国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると 言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”であ る、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だ と、五時間かけて洗脳します。  

 こういう「原発安全」の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。
有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー 印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。
だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとして も、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって 、「原発がなくなったら、電気がなくなって困る」 と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く 人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、 「洗脳教育」をやって来ました。何人殺したかわかりません。みなさんから現場で働く人は不安に思っ ていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だ とは大半の人は思っていません。
体の具合が悪くな っても、それが原発のせいだとは全然考えもしない のです。
作業者全員が毎日被曝をする。それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。本人や外部に被曝の問題が漏れるよ うでは、現場責任者は失格なのです。
これが原発の 現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。
気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。


  だれが助けるのか
 
また、東京電力の福島原発で現場作業員がグライ ンダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたこと がありました。
血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。
ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。
でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。 救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、 その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。
だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、 また汚染が広がるというふうに、町中がパニックに なるほどの大変な事態になってしまいました。
みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたい と思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、
だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。想像できますか。
人ごとではないのです。この国の人、みんなの問題です。


びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。
スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する 大事故です。
一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。
原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。
だから、 ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかった
と思ったんです。
しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動 で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故 だったんです。ECCSというのは、原発の安全を 守るための最後の砦に当たります。
これが効かなかったらお終りです。
だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、
一億数千万人の人を乗せたバ スが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているの に、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかな い、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故 だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、 炉が空焚きになる寸前だったのです。
日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒 でチェルノブイリになるところだった。
それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来 ていて、自動停止するはずが停止しなくて、
その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むよ うな大事故に至らなかったのです。
日本中の人が、 いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている 触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが
原因でした。
施工ミスです。
そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。
入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張る という、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった 事故でもあったんです。


  もんじゅの大事故

 去年(一九九五年)の十二月八日に、福井県の敦賀にある動燃(動力炉・核燃料開発事業団)のもんじゅでナトリウム漏れの大事故を起こしました。
もんじゅの事故はこれが初めてではなく、それまでにも度々事故を起こしていて、私は建設中に六回も呼ばれて行きました。
というのは、所長とか監督とか 職人とか、元の部下だった人たちがもんじゅの担当もしているので、何か困ったことがあると私を呼ぶんですね。もう会社を辞めていましたが、原発だけは事故が起きたら取り返しがつきませんから、放っては置けないので行くのです。

 ある時、電話がかかって、「配管がどうしても合わないから来てくれ」という。
行って見ますと、特別に作った配管も既製品の配管もすべて図面どおり 、寸法通りになっている。でも、合わない。
どうし て合わないのか、いろいろ考えましたが、なかなか 分からなかった。
一晩考えてようやく分かりました 。
もんじゅは、日立、東芝、三菱、富士電機などの 寄せ集めのメーカーで造ったもので、それぞれの会社の設計基準が違っていたのです。

 図面を引くときに、私が居た日立は〇・五mm切り捨て、東芝と三菱は〇・五mm切上げ、日本原研は〇 ・五mm切下げなんです。
たった〇・五mmですが、百カ所も集まると大変な違いになるのです。
だから、 数字も線も合っているのに合わなかったのですね。

 これではダメだということで、みんな作り直させました。何しろ国の威信がかかっていますから、お金は掛けるんです。

 どうしてそういうことになるかというと、それぞれのノウ・ハウ、企業秘密ということがあって、全体で話し合いをして、この〇・五mmについて、切り 上げるか、切り下げるか、どちらかに統一しようと いうような話し合いをしていなかったのです。
今回 のもんじゅの事故の原因となった温度センサーにし ても、メーカー同士での話し合いもされていなかっ たんではないでしょうか。

 どんなプラントの配管にも、あのような温度計が ついていますが、私はあんなに長いのは見たことがありません。
おそらく施工した時に危ないと分かっていた人がいたはずなんですね。
でも、よその会社のことだからほっとけばいい、自分の会社の責任で はないと。

 動燃自体が電力会社からの出向で出来た寄せ集めですが、メーカーも寄せ集めなんです。
これでは事故は起こるべくして起こる、事故が起きないほうが 不思議なんで、起こって当たり前なんです。

 しかし、こんな重大事故でも、国は「事故」と言いません。
美浜原発の大事故の時と同じように「事象があった」と言っていました。
私は事故の後、直ぐに福井県の議会から呼ばれて行きました。
あそこには十五基も原発がありますが、誘致したのは自民党の議員さんなんですね。
だから、私はそういう人 に何時も、「事故が起きたらあなた方のせいだよ、 反対していた人には責任はないよ」と言ってきました。この度、その議員さんたちに呼ばれたのです。 「今回は腹を据えて動燃とケンカする、どうしたら よいか教えてほしい」と相談を受けたのです。

 それで、私がまず最初に言ったことは、「これは 事故なんです、事故。事象というような言葉に誤魔化されちゃあだめだよ」と言いました。
県議会で動燃が「今回の事象は……」と説明を始めたら、「事故だろ! 事故!」と議員が叫んでいたのが、テレ ビで写っていましたが、あれも、黙っていたら、軽い「事象」ということにされていたんです。
地元の人たちだけではなく、私たちも、向こうの言う「事象」というような軽い言葉に誤魔化されてはいけな いんです。

 普通の人にとって、「事故」というのと「事象」 というのとでは、とらえ方がまったく違います。
この国が事故を事象などと言い換えるような姑息なことをしているので、日本人には原発の事故の危機感 がほとんどないのです。


  日本のプルトニウムがフランスの核兵器に?

 もんじゅに使われているプルトニウムは、日本が フランスに再処理を依頼して抽出したものです。
再処理というのは、原発で燃やしてしまったウラン燃料の中に出来たプルトニウムを取り出すことですが、 プルトニウムはそういうふうに人工的にしか作れないものです。

 そのプルトニウムがもんじゅには約一・四トンも使 われています。
長崎の原爆は約八キロだったそうですが、一体、もんじゅのプルトニウムでどのくらいの原爆ができますか。
それに、どんなに微量でも肺ガンを起こす猛毒物質です。
半減期が二万四千年もあるので、永久に放射能を出し続けます。
だから、その名前がプルートー、地獄の王という名前からつけられたように、プルトニウムはこの世で一番危険なものといわれるわけですよ。

 しかし、日本のプルトニウムが去年(一九九五年) 南太平洋でフランスが行った核実験に使われた可能性が大きいことを知っている人は、余りいません。
フランスの再処理工場では、プルトニウムを作るのに核兵器用も原発用も区別がないのです。
だから、 日本のプルトニウムが、この時の核実験に使われて しまったことはほとんど間違いありません。

 日本がこの核実験に反対をきっちり言えなかったのには、そういう理由があるからです。
もし、日本政府が本気でフランスの核実験を止めさせたかったら、簡単だったのです。
つまり、再処理の契約を止めればよかったんです。でも、それをしなかった。

 日本とフランスの貿易額で二番目に多いのは、こ の再処理のお金なんですよ。
国民はそんなことも知らないで、いくら「核実験に反対、反対」といって も仕方がないんじゃないでしょうか。
それに、唯一の被爆国といいながら、日本のプルトニウムがタヒチの人々を被爆させ、きれいな海を放射能で汚して しまったに違いありません。

 世界中が諦めたのに、日本だけは まだこんなもの で電気を作ろうとしているんです。
普通の原発で、 ウランとプルトニウムを混ぜた燃料(MOX燃料) を燃やす、いわゆるプルサーマルをやろうとしてい ます。
しかし、これは非常に危険です。
分かりやす くいうと、石油ストーブでガソリンを燃やすような ことなんです。
原発の元々の設計がプルトニウムを 燃すようになっていません。
プルトニウムは核分裂 の力がウランとはケタ違いに大きいんです。
だから 原爆の材料にしているわけですから。

 いくら資源がない国だからといっても、あまりに 酷すぎるんじゃないでしょうか。
早く原発を止めて、 プルトニウムを使うなんてことも止めなければ、あちこちで被曝者が増えていくばかりです。

  日本には途中でやめる勇気がない

 世界では原発の時代は終わりです。
原発の先進国 のアメリカでは、二月(一九九六年)に二〇一五年 までに原発を半分にすると発表しました。それに、 プルトニウムの研究も大統領命令で止めています。
あんなに怖い物、研究さえ止めました。

 もんじゅのようにプルトニウムを使う原発、高速 増殖炉も、アメリカはもちろんイギリスもドイツも止めました。
ドイツは出来上がったのを止めて、リゾートパークにしてしまいました。
世界の国がプル トニウムで発電するのは不可能だと分かって止めたんです。
日本政府も今度のもんじゅの事故で「失敗した」と思っているでしょう。
でも、まだ止めない 。これからもやると言っています。

 どうして日本が止めないかというと、日本にはいったん決めたことを途中で止める勇気がないからで 、
この国が途中で止める勇気がないというのは非常に怖いです。
みなさんもそんな例は山ほどご存じで しょう。

 とにかく日本の原子力政策はいい加減なのです。 日本は原発を始める時から、後のことは何にも考えていなかった。
その内に何とかなるだろうと。そんないい加減なことでやってきたんです。
そうやって 何十年もたった。でも、廃棄物一つのことさえ、どうにもできないんです。

 もう一つ、大変なことは、いままでは大学に原子力工学科があって、それなりに学生がいましたが、 今は若い人たちが原子力から離れてしまい、東大を はじめほとんどの大学からなくなってしまいました。
机の上で研究する大学生さえいなくなったのです。

 また、日立と東芝にある原子力部門の人も三分の一に減って、コ・ジェネレーション(電気とお湯を 同時に作る効率のよい発電設備)のガス・タービン の方へ行きました。
メーカーでさえ、原子力はもう 終わりだと思っているのです。

 原子力局長をやっていた島村武久さんという人が 退官して、『原子力談義』という本で、「日本政府 がやっているのは、ただのつじつま合わせに過ぎない、電気が足りないのでも何でもない。
あまりに無計画にウランとかプルトニウムを持ちすぎてしまっ たことが原因です。
はっきりノーといわないから持たされてしまったのです。
そして日本はそれらで核兵器を作るんじゃないかと世界の国々から見られる、 その疑惑を否定するために核の平和利用、つまり、 原発をもっともっと造ろうということになるのです」 と書いていますが、これもこの国の姿なんです。

  廃炉も解体も出来ない原発

 一九六六年に、日本で初めてイギリスから輸入し た十六万キロワットの営業用原子炉が茨城県の東海村で稼 動しました。
その後はアメリカから輸入した原発で 、途中で自前で造るようになりましたが、
今では、 この狭い日本に一三五万キロワットというような巨大な原発を含めて五一の原発が運転されています。

 具体的な廃炉・解体や廃棄物のことなど考えない ままに動かし始めた原発ですが、厚い鉄でできた原子炉も大量の放射能をあびるとボロボロになるんです。
だから、最初、耐用年数は十年だと言っていて、 十年で廃炉、解体する予定でいました。
しかし、一九八一年に十年たった東京電力の福島原発の一号機 で、当初考えていたような廃炉・解体が全然出来ないことが分かりました。
このことは国会でも原子炉は核反応に耐えられないと、問題になりました。

 この時、私も加わってこの原子炉の廃炉、解体に ついてどうするか、毎日のように、ああでもない、 こうでもないと検討をしたのですが、放射能だらけの原発を無理やりに廃炉、解体しようとしても、造るときの何倍ものお金がかかることや、どうしても 大量の被曝が避けられないことなど、どうしようも ないことが分かったのです。
原子炉のすぐ下の方で は、決められた線量を守ろうとすると、たった十数秒くらいしかいられないんですから。

 机の上では、何でもできますが、実際には人の手でやらなければならないのですから、とんでもない 被曝を伴うわけです。ですから、放射能がゼロにな らないと、何にもできないのです。
放射能がある限 り廃炉、解体は不可能なのです。
人間にできなければロボットでという人もいます。
でも、研究はしていますが、ロボットが放射能で狂ってしまって使え ないのです。

 結局、福島の原発では、廃炉にすることができないというので、原発を売り込んだアメリカのメーカーが自分の国から作業者を送り込み、日本では到底考えられない程の大量の被曝をさせて、原子炉の修理をしたのです。
今でもその原発は動いています。

 最初に耐用年数が十年といわれていた原発が、も う三〇年近く動いています。
そんな原発が十一もあ る。くたびれてヨタヨタになっても動かし続けていて、私は心配でたまりません。

 また、神奈川県の川崎にある武蔵工大の原子炉は たった一〇〇キロワットの研究炉ですが、これも放射能漏 れを起こして止まっています。
机上の計算では、修理に二〇億円、廃炉にするには六〇億円もかかるそ うですが、大学の年間予算に相当するお金をかけても廃炉にはできないのです。
まず停止して放射能がなくなるまで管理するしかないのです。

 それが一〇〇万キロワットというような大きな原発です と、本当にどうしようもありません。

  「閉鎖」して、監視・管理

 なぜ、原発は廃炉や解体ができないのでしょうか。
それは、原発は水と蒸気で運転されているものなので、運転を止めてそのままに放置しておくと、すぐサビが来てボロボロになって、穴が開いて放射能が 漏れてくるからです。
原発は核燃料を入れて一回でも運転すると、放射能だらけになって、止めたまま にしておくことも、廃炉、解体することもできないものになってしまうのです。

 先進各国で、閉鎖した原発は数多くあります。
廃炉、解体ができないので、みんな「閉鎖」なんです。
閉鎖とは発電を止めて、核燃料を取り出しておくこ とですが、ここからが大変です。

 放射能まみれになってしまった原発は、発電して いる時と同じように、水を入れて動かし続けなければなりません。水の圧力で配管が薄くなったり、部品の具合が悪くなったりしますから、定検もしてそ ういう所の補修をし、放射能が外に漏れださないよ うにしなければなりません。
放射能が無くなるまで 、発電しているときと同じように監視し、管理をし続けなければならないのです。 

 今、運転中が五一、建設中が三、全部で五四の原発が日本列島を取り巻いています。
これ以上運転を 続けると、余りにも危険な原発もいくつかあります 。
この他に大学や会社の研究用の原子炉もありますから、日本には今、小さいのは一〇〇キロワット、大きいの は一三五万キロワット、大小合わせて七六もの原子炉があることになります。

 しかし、日本の電力会社が、電気を作らない、金儲けにならない閉鎖した原発を本気で監視し続けるか大変疑問です。
それなのに、さらに、新規立地や 増設を行おうとしています。
その中には、東海地震のことで心配な浜岡に五機目の増設をしようとしていたり、福島ではサッカー場と引換えにした増設もあります。
新設では新潟の巻町や三重の芦浜、山口の上関、石川の珠洲、青森の大間や東通などいくつ もあります。それで、二〇一〇年には七〇~八〇基 にしようと。
実際、言葉は悪いですが、この国は狂っているとしか思えません。

 これから先、必ずやってくる原発の閉鎖、これは 本当に大変深刻な問題です。
近い将来、閉鎖された原発が日本国中いたるところに出現する。
これは不安というより、不気味です。ゾーとするのは、私だ けでしょうか。

3/3へ
[PR]
by 2006taicho | 2013-12-10 08:11 | 原発 | Comments(0)

 どうしようもない放射性廃棄物

 それから、原発を運転すると必ず出る核のゴミ、 毎日、出ています。
低レベル放射性廃棄物、名前は 低レベルですが、中にはこのドラム缶の側に五時間 もいたら、致死量の被曝をするようなものもあります。
そんなものが全国の原発で約八〇万本以上溜っています。

 日本が原発を始めてから一九六九年までは、どこ の原発でも核のゴミはドラム缶に詰めて、近くの海 に捨てていました。その頃はそれが当たり前だった のです。
私が茨城県の東海原発にいた時、業者は ドラム缶をトラックで運んでから、船に乗せて、千葉の沖に捨てに行っていました。

 しかし、私が原発はちょっとおかしいぞと思ったのは、このことからでした。
海に捨てたドラム缶は 一年も経つと腐ってしまうのに、中の放射性のゴミ はどうなるのだろうか、魚はどうなるのだろうかと 思ったのがはじめでした。

 現在は原発のゴミは、青森の六ケ所村へ持って行 っています。
全部で三百万本のドラム缶をこれから 三百年間管理すると言っていますが、一体、三百年 ももつドラム缶があるのか、廃棄物業者が三百年間 も続くのかどうか。どうなりますか。

 もう一つの高レベル廃棄物、これは使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを取り出した後に残っ た放射性廃棄物です。
日本はイギリスとフランスの 会社に再処理を頼んでいます。
去年(一九九五年) フランスから、二八本の高レベル廃棄物として返っ てきました。
これはどろどろの高レベル廃棄物をガラスと一緒に固めて、金属容器に入れたものです。
この容器の側に二分間いると死んでしまうほどの放射線を出すそうですが、これを一時的に青森県の六ケ所村に置いて、三〇年から五〇年間くらい冷やし 続け、その後、どこか他の場所に持って行って、地中深く埋める予定だといっていますが、予定地は全 く決まっていません。
余所の国でも計画だけはあっ ても、実際にこの高レベル廃棄物を処分した国はありません。
みんな困っています。

 原発自体についても、国は止めてから五年か十年間、密閉管理してから、粉々にくだいてドラム缶に 入れて、原発の敷地内に埋めるなどとのんきなこと を言っていますが、それでも一基で数万トンくらいの 放射能まみれの廃材が出るんですよ。
生活のゴミで さえ、捨てる所がないのに、一体どうしようという んでしょうか。
とにかく日本中が核のゴミだらけに なる事は目に見えています。
早くなんとかしないと いけないんじゃないでしょうか。
それには一日も早 く、原発を止めるしかないんですよ。

 私が五年程前に、北海道で話をしていた時、「放射能のゴミを五〇年、三百年監視続ける」と言った ら、中学生の女の子が、手を挙げて、「お聞きして いいですか。今、廃棄物を五〇年、三百年監視する といいましたが、今の大人がするんですか?
 そう じゃないでしょう。次の私たちの世代、また、その次の世代がするんじゃないんですか。だけど、私た ちはいやだ」と叫ぶように言いました。
この子に返事の出来る大人はいますか。

 それに、五〇年とか三百年とかいうと、それだけ 経てばいいんだというふうに聞こえますが、そうじ ゃありません。
原発が動いている限り、終わりのな い永遠の五〇年であり、三百年だということです。

  住民の被曝と恐ろしい差別

 日本の原発は今までは放射能を一切出していませんと、何十年もウソをついてきた。
でもそういうウソがつけなくなったのです。

 原発にある高い排気塔からは、放射能が出ています。
出ているんではなくて、出しているんですが、二四時間放射能を出していますから、その周辺に住んでいる人たちは、一日中、放射能をあびて被曝しているのです。

ある女性から手紙が来ました。二三歳です。便箋に涙の跡がにじんでいました。
「東京で就職して恋愛し、結婚が決まって、結納も交わしました。
ところが突然相手から婚約を解消されてしまったのです。 相手の人は、君には何にも悪い所はない、自分も一緒になりたいと思っている。でも、親たちから、あなたが福井県の敦賀で十数年間育っている。 原発の周辺では白血病の子どもが生まれる確率が高いという。
白血病の孫の顔はふびんで見たくない。だから結婚するのはやめてくれ、といわれたからと。
私が何か悪いことしましたか」と書いてありました。
この娘さんに何の罪がありますか。
こういう話が方々で起きています。

 この話は原発現地の話ではない、東京で起きた話なんですよ、東京で。
皆さんは、原発で働いていた男性と自分の娘とか、この女性のように、原発の近くで育った娘さんと自分の息子とかの結婚を心から喜べますか。
若い人も、そういう人と恋愛するかも知れないですから、まったく人ごとではないんです。  
こういう差別の話は、言えば差別になる。でも言わなければ分からないことなんです。
原発に反対している人も、原発は事故や故障が怖いだけではない、こういうことが起きるから原発はいやなんだと言って欲しいと思います。  
原発は事故だけではなしに、人の心まで壊しているのですから。

  私、子ども生んでも大丈夫ですか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ。

 最後に、私自身が大変ショックを受けた話ですが、北海道の泊原発の隣の共和町で、教職員組合主催の講演をしていた時のお話をします。
どこへ行っても、必ずこのお話はしています。あとの話は全部忘れてくださっても結構ですが、この話だけはぜひ覚えておいてください。

その講演会は夜の集まりでしたが、父母と教職員が半々くらいで、およそ三百人くらいの人が来ていました。 その中には中学生や高校生もいました。原発は今の大人の問題ではない、私たち子どもの問題だからと聞きに来ていたのです。

 話が一通り終わったので、私が質問はありませんかというと、中学二年の女の子が泣きながら手を挙げて、こういうことを言いました。 

 「今夜この会場に集まっている大人たちは、大ウソつきのええかっこしばっかりだ。 私はその顔を見に来たんだ。どんな顔をして来ているのかと
今の大人たち、特にここにいる大人たちは農薬問題、ゴルフ場問題、原発問題、
何かと言えば子どもたちのためにと言って、運動するふりばかりしている。
私は泊原発のすぐ近くの共和町に住んで、二四時間被曝している。
原子力発電所の周辺、イギリスのセラフィールドで白血病の子どもが生まれる確率が高いというのは、本を読んで知っている。 私も女の子です。年頃になったら結婚もするでしょう。 私、子ども生んでも大丈夫なんですか?」と、泣きながら三百人の大人たちに聞いているのです。
でも、誰も答えてあげられない。

 「原発がそんなに大変なものなら、今頃でなくて、なぜ最初に造るときに一生懸命反対してくれなかったのか。 まして、ここに来ている大人たちは、二号機も造らせたじゃないのか。たとえ電気がなくなってもいいから、私は原発はいやだ」と。
ちょうど、 泊原発の二号機が試運転に入った時だったんです。

 「何で、今になってこういう集会しているのか分からない。
私が大人で子どもがいたら、命懸けで体を張ってでも原発を止めている」と言う。

 「二基目が出来て、今までの倍私は放射能を浴びている。でも私は北海道から逃げない」って、泣きながら訴えました。

 私が「そういう悩みをお母さんや先生に話したことがあるの」と聞きましたら、
「この会場には先生やお母さんも来ている、でも、話したことはない」と言います。
「女の子同志ではいつもその話をしている。結婚もできない、子どもも産めない」って。

 担任の先生たちも、今の生徒たちがそういう悩みを抱えていることを少しも知らなかったそうです。

 これは決して、原子力防災の八キロとか十キロの問題ではない、
五十キロ、一〇〇キロ圏でそういうことがいっぱい起きているのです。
そういう悩みを今の中学生、高校生が持っていることを絶えず知っていてほしいのです

  原発がある限り、安心できない

 みなさんには、ここまでのことから、原発がどん なものか分かってもらえたと思います。

 チェルノブイリで原発の大事故が起きて、原発は 怖いなーと思った人も多かったと思います。
でも、 「原発が止まったら、電気が無くなって困る」と、 特に都会の人は原発から遠いですから、少々怖くて も仕方がないと、そう考えている人は多いんじゃな いでしょうか。

 でも、それは国や電力会社が「原発は核の平和利 用です」「日本の原発は絶対に事故を起こしません。 安全だから安心しなさい」「日本には資源がないか ら、原発は絶対に必要なんですよ」と、大金をかけて宣伝をしている結果なんです。
もんじゅの事故のように、本当のことはずーっと隠しています。

 原発は確かに電気を作っています。しかし、私が 二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験し たことは、原発は働く人を絶対に被曝させなければ 動かないものだということです。
それに、原発を造るときから、地域の人達は賛成だ、反対だと割れて、 心をズタズタにされる。
出来たら出来たで、被曝させられ、何の罪もないのに差別されて苦しんでいる んです。

 みなさんは、原発が事故を起こしたら怖いのは知っている。
だったら、事故さえ起こさなければいいのか。平和利用なのかと。そうじゃないでしょう。
しかし、私が 二〇年間働いて、この目で見たり、この体で経験し たことは、働く人が被曝して死んでいったり、 地域の人が苦しんでいる限り、原発は平和利用なん かではないんです。それに、安全なことと安心だと いうことは違うんです。
原発がある限り安心できな いのですから。

 それから、今は電気を作っているように見えても、 何万年も管理しなければならない核のゴミに、膨大 な電気や石油がいるのです。
それは、今作っている 以上のエネルギーになることは間違いないんですよ。
それに、その核のゴミや閉鎖した原発を管理するのは、私たちの子孫なのです。

 そんな原発が、どうして平和利用だなんて言えますか。
だから、私は何度も言いますが、原発は絶対 に核の平和利用ではありません。

 だから、私はお願いしたい。
朝、必ず自分のお子さんの顔やお孫さんの顔をしっかりと見てほしいと。
果たしてこのまま日本だけが原子力発電所をどんどん造って大丈夫なのかどうか、事故だけでなく、地震で壊れる心配もあって、このままでは本当に取り 返しのつかないことが起きてしまうと。これをどう しても知って欲しいのです。

 ですから、私はこれ以上原発を増やしてはいけない、原発の増設は絶対に反対だという信念でやっています。
そして稼働している原発も、着実に止めなければならないと思っています。

 原発がある限り、世界に本当の平和はこないので すから。

優しい地球 残そう子どもたちに

<完>

さいごまで読んでいただきありがとうございました。
[PR]
by 2006taicho | 2013-12-10 08:10 | 原発 | Comments(0)