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隊長ブログ

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朝まで飲みました




27日は怒涛の飲み会となりました。

品川駅で丸ちゃんと西田さんと待ち合わせて天ぷらを食べ、そのあとは唄いまくり。

気が付いたら丸ちゃんと牛丼を食べたようです。それも明け方。

丸ちゃん 突き合わせてごめん。




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始発電車で丸ちゃんは帰宅の途に。



私はそのまま牛丼屋で眠ってしまい、店を出たのは朝7時半。

浜松町駅でおりて竹芝桟橋へ。

朝の高速艇に乗り大島へ。





午前中は爆睡して夜は同級生の決起集会へ。




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決起集会は50人ほど集まりました。

幸い彼の家は民宿をやっているので近所の人も集まりやすかったようです。

K君は町長選への決意を熱く表明していました。

結局立候補者は7人くらいになりそうです。

島の有権者は約7000人。

単純に1000票が最低ライン。

当選するには2000票くらいは必要でしょう。

どうやら他の候補者はすでに水面下で昨年から動いているようです。

K君は4期16年間、共産党の町議でしたが、今回は離党して無所属で出るそうです。

賢明な策です。





なんだか今年はいろんなことがありそうな年になりそうです。

いや きっと色々あります。
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by 2006taicho | 2011-01-29 04:39 | 近況 | Comments(1)

立候補


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同級生が4月の選挙に立候補すると訪ねてきた。

彼は現在は町会議員(共産党所属)。

今回は町長に立候補するという。

今の町長はいろんな問題を指摘されている。



4人くらいが町長に立候補するというので激戦だ。

わが大島町の町長となれば島全体を取り仕切ることになる。

責任は重大だ。

敗れれば失職し無収入になる。

27日に打ち合わせ会をやるので出席してほしいとのこと。



小中高とずっと一緒の学校に通った、同級生。

彼はよく生徒会長をやった。

高校時代は大島高校の問題でともに闘ったこともある。



大学を出て島に帰り、島の町会議員を16年間やったそうだ。



「応援するよ」

「おう 頼む 政策的なアイデアもあったらまた教えてくれよ」

そう言ってあわただしく次の家に支援をお願いしに行った。
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by 2006taicho | 2011-01-24 06:17 | 近況 | Comments(1)

ふらっと立ち寄ったら




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今日は仕事はオフ。

元町港はいたって静か。

ついでに岡田港にも立ち寄り。

最近は釣りを全くしていない。

だれかやっているんだろうかと思って行ってみるとKさんがやっていた。

Kさんはお土産やさんをやりながら漁師もやる。

桟橋のそばに住んでいるので釣りは生活の一部。

桟橋では餌木(えぎ)を使ってのイカ釣りが専門。

わが町ではこの人が一番の名人。

「どう?」

「だめだな やるのか?」

「いや やらない 見に来た」

Kさんは竿をしきりにあおる。

「おれもエギング用の竿を持ってるんだけど 使ったことがない」

「たまにはやってみれば」

そんなことを言っていると

「あっ 釣れた」とKさん

なんとあおりイカが釣れた。





「まあまあのサイズだな 1キロはないかもな 持って行く?」

「えっ!! いいの?」

「いいよ」

「クーラーある?」

「ある」

釣り道具とクーラーボックスは常に積んでいる。

「いやあ ありがとう」

立ち話をすること5分。

あおりイカをゲット。

うん いい島だ。

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by 2006taicho | 2011-01-23 23:10 | 近況 | Comments(0)

近況




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昨日の試合は最初から見ていました。
1対1の同点になり、さあここからというところでいつの間にか眠ってしまいました。
「だから炬燵はだめだって言ったろう!!」と自分に逆切れ。
結局ゴールシーンだけを見る羽目に。

それにしてもこの人の評価はうなぎ上りになったでしょう。
次は韓国で決勝まで行けばオーストラリアですかね。











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昨日の海。


ここは岡田の「野田浜」。
ダイビングスポットの一つです。

これはダイバーが潜るときに鳴らすベル。
「信頼の輪」をテーマとして造られたそうです。







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ダイビングでは、意気のあった信頼できるパートナーをバディと呼び、お互いに助け合い、喜びや辛さを共有します。

あなたにとってBuddyは?(なんちゃって)


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by 2006taicho | 2011-01-22 10:49 | 近況 | Comments(0)

50年経った


E君は幼なじみ。

なにをするにも一緒だった。

彼には兄貴がいて怖い存在だったけど憧れの存在でもあった。

どんな遊びをするかはいつもE君が決めてくれた。

パチンコで鳥を打つコツ、メジロを捕まえる方法、ヒヨドリの仕掛け、魚の突きかた、サザエの採り方、

E君から教わった。


ある日 家の近くの禿山に登った。

その日の遊びは終了。

禿山の頂上に腰をおろすと遠くに内地が見えた

「俺 大きくjなったら 絶対 あっちに行ってみる」

「俺も!絶対 あっちに行く」

「これ 甘い味がするんだぞ」

E君はスミレの花の袋をかじってそう言った

そんなことまで知っているんだ

そう 思った

私の右の太ももには竹が刺さったあとが残っている

半ズボン時代の名誉の負傷

この禿山で唐人草を竹やり代わりにして上と下に分かれて投げあった

陣地の奪い合い

でもその遊びも誰かの目に刺さって禁止になった。




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E君は中学を卒業すると あっちに行った。

私はその三年後 あっちに行った。

50年経った

E君はまだあっちにいて

私はこっちに帰ってきた
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by 2006taicho | 2011-01-19 06:03 | ひとり日和 | Comments(1)

逆輸入投手

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藤谷周平(ふじやしゅうへい)
1987年生まれ 東京都出身 190㎝ 77㌔ 右投げ右打ち
7歳の時カリフォルニアへ。高卒後北アイオワ大へ。
09年パドレスから18巡目指名を受けるも南カリフォルニア大へ編入。
昨年のドラフトで千葉ロッテから6位指名を受ける。



こういう選手もいるんですね。

彼は父親の仕事の関係で幼いときに渡米し、以来アメリカで育つ。

父親の在米期間は16年に及んだ。

つまりアメリカ野球が育てた日本人投手。

1995年

8歳の時にドジャースタジアムで野茂英雄の雄姿をみて感動、野球を始める。

2007年

その野茂からフォークボールの握りを伝授される。

偶然にも二人は同じ場所で練習し、出会った。

190センチの長身から投げおろす最速96マイル(約154キロ)のストレートと

タテに大きく割れるカーブ、そしてフォークボール。

周囲の目も変わって行った。

09年当時アイオワ大に在籍していた藤谷にメジャーからオファーが来る。

パドレスで16巡目の指名。

もうひとつは大学野球の名門、南カリフォルニア大からの編入オファー。

「南カ大の野球にはメジャーと同じくらい憧れていました。メジャーリーガーを指導する

コーチがたくさんいますし、そこで最先端の技術を学びたいと思いました。メジャーは大学を

卒業してからでも遅くないと思い、南カリフォルニア大を選びました。」



南カ大でのスタート当初は、渾身の力を込めて投げた154キロのストレートを簡単に

打ち込まれた。

いくらトレーニングしても結果はついてこない。

「日本人ではこのレベルは無理なのか」そう思った。

ジャクソン・クローサーコーチは「自分の体を理解しろ」と説いた。

ベストなパフォーマンスするためにはどんなトレーニングをするべきなのか、

最適なコンデイションとはどんな状態なのか、それを

「一緒に見つけよう」そう言ってくれた。


クローサーコーチは、ダンベルなどは一切使わず、自分の体の重さを使って、腹筋、背筋などの

体幹を強化していった。(ファンクショナル・トレーニング)

それまでは重いダンベルなどを使う筋トレに頼りがちだった。

しかしこのトレーニングに変えてから

「投球は力ではなく、タイミングである」ことを理解して行った。

次に取り組んだのが体脂肪率。

ベストなパフォーマンスには何パーセントがいいのか、取り組んだ結果、

得た答えは8%から12%に維持することがベストであると分かった。

そして09年、1勝9セーブ、奪三振率11.52の成績を残し千葉ロッテの目に留まる。

「今の自分があるのはコーチのおかげ。よく吐くまで走らされましたが、自分のスタイルを

見つけることが出来ました。僕のような日本人は、こっちの選手と同じ練習をしても勝てる

わけがないいんです。筋力や腱の強さも違うので、同じことをしていたら肩やヒジを壊してしまう。

体幹とインナーマッスルを鍛え、力を入れずにしなやかに投げる。このタイミングを覚えてから

コントロールも良くなり抑えられるようになりました。」


2011年6月のメジャーのドラフトを見据えていた藤谷だがあえて日本の野球界を選んだ。

資料=ベースボールマガジン


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日本の高校野球・大学野球を全く知らない、アメリカ野球が育てた日本人プロ野球選手の誕生。

日本式野球をどこまで我慢できるか・・・・

頑張れ ルーキー藤谷投手。
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by 2006taicho | 2011-01-15 21:25 | 野球 | Comments(2)

バトンをつなぐ指導者





野球ファンにとっては

早稲田大の斉藤祐樹投手の自主トレのニュースくらいしか楽しみのないオフですね。

早稲田大野球部といえば前監督・野村徹氏の話を仕入れましたのでちょこっと紹介します。

ちなみに今の監督は應武(おおたけ)監督。

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11年前 監督に就任した野村さんはまず、門限を復活させ、朝食をしっかりとるよう指示をしたそうだ。

「野球部は家族なんだから朝ごはんは一緒に食べなくちゃいけない」と考えたからだ。

しかしこれだけではいかにも堅苦しく、古臭い指揮官がやってきたと思われがちだ。

そこでデータ班を組織してスポーツ科学を積極的に取り入れたりしたそうだ。

守備練習では自ら素手でボールを捕って見せた。

野村さんの手は紫色に腫れあがってしまったがそれを野村さんは隠した。

それでも選手たちは知っていた。

還暦を過ぎた監督がやせ我慢して、選手たちに言葉を届けようとしている、

そういう覚悟はいつの時代も伝わるものだ。

「今の学生は経験主義的な指導者の話は聞きませんよ。俺はこれだけやってきた

俺はこんな経験をしてきたんだからというだけじゃ、学生に言葉は届きません」



早稲田の野球部には、野球部に伝わる伝統や建部の精神というものが詰まっている

「バトン」があるのだそうだ。

そしてそのバトンを指導者というランナーが受け継いで走っているのだという。

その走り方は指導者によってさまざまであっていいし、時代に合せて変えていかなければならない。

野村さんは就任してすぐチームを優勝に導き、在任6年間で4連覇を含む5度の優勝に導くなど

黄金時代を築き上げた。





沖縄興南高校の我喜屋監督。

昨年の甲子園で春夏連覇を成し遂げた監督の話。

就任して3年で春夏連覇を達成した名監督だ。

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「僕が監督としてきたときの子供たちは、寝ない、起きられない、食べられない、整理整頓出来ない

あいさつも出来ないのないない尽くし。だからまず朝ごはんをしっかり食べなさいと。

朝食の美味しさを感じ、朝食を作ってくれた人に感謝する。そうやって朝から五感を働かせることで

、小さなことに気づく感覚が養われる。小さなことが出来なくてどうして試合で大きなことが

できるのか。そういうことを学ぶ力があれば野球はうまくなるんですよ。」




1969年、当時18歳の我喜屋監督が興南高校を卒業して、大昭和製紙に進んだ時、大昭和の監督は

当時32歳の野村さんだった。




低迷する伝統校を立て直した二人は師弟関係にあった。

走り方は違っても同じようなバトンを持っていたというわけだ。
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by 2006taicho | 2011-01-15 10:18 | 野球 | Comments(0)

ブログ紹介





例の「住みよい大島を創る会」のメンバーのMさんがブログをたちあげました。

題して「波まかせ航海日誌」

できたてホヤホヤです。

みなさんご愛顧願います。


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画像をクリックでページへ飛びます。

私のブログからでも訪問できるようにメニュー欄にリンクさせていただきました。

こういうお知らせはうれしいですね。
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by 2006taicho | 2011-01-14 04:39 | 近況 | Comments(0)

落とすにきまってる






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数日前 この状態で買い物に行きました。

ミニバッグの中には

携帯電話、デジカメ、メガネ、印鑑、メモ帳、ボールペンなどが入っていました。

唯一 財布だけはジャケットの中に入れていました。


元町へ行きいくつかのお店に寄り買い物をしました。



気づいたのは家に帰ってから。

いろんなところを捜しましたが見つかりません。


そこで自分の携帯に電話してみました。

家の中のどこかで鳴ってくれることを期待しながら。

すると

「もしもし」

と大きな声が。

「あっ あのう・・」

「もしもし 坂上さんですか?」

「えっ!! あっ はい」

「こちらは駐在所です バッグが届いているのでとりにきてください」

「はい!わかりました すぐ伺います」



駐在所に行くと警官が待っていました。

拾って届けてくれた人は「たいしたことじゃないから名前を明かさないで」

と警官に伝えたそうです。

遺失物届に記入して無事手元に戻りました。



バッグは解放型なので、落ちた瞬間に散乱したはずなのにすべて元通りに入っていました。

拾い主に感謝です。



またまた落し物がでて来ました。

財布をはじめいろんなものを落としても必ず出てくるのはなぜでしょう?
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by 2006taicho | 2011-01-12 13:30 | 近況 | Comments(1)

今年最初の話し合い




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昨日は夜6時過ぎから「住みよい大島を創る会」に出席。
出席者はいつもよりちょっと少なめ。
年のはじめでみんな忙しいのか、それとも・・・と思う。






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冒頭に提案する。
「今年は選挙の年なのでこの会としても候補者にアンケートをとって、有権者の参考にしてもらっては?」
来月のこの会で質問内容を決定して実行することになった。

町役場の職員もいる。





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大島支庁(都の職員)の職員も参加しています。
彼は島外出身者。
大島を気にいってくれている。
転勤はどうなのかと思う。





d0098363_910223.jpgMさん。
先月ブログのことをお知らせしたので、私のブログを見てくれている。
なので私の家族が東京に帰ったことも知っている。

門前仲町に住んでいたそうだ。
門仲は大好きな街だそうだ。
またまた奇縁に出会う。
近々島民向けの情報ブログを立ち上げるそうだ。
アイデアを頼まれた。
「今度一杯やりましょう」
ということになった。
会としてもなにかイベントをやったほうがいいような気がした。
会員同士の情報が不足している気がする。
バーベキュー大会なんかがいいかもしれない。


会は夜9時に閉会。
来月は8日に開催。
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by 2006taicho | 2011-01-12 09:45 | 近況 | Comments(0)

おかしいことはおかしいと言う