カテゴリ:最近読んだ本( 53 )

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『汽車ポッポ判事の鉄道と戦争』

単行本(ソフトカバー) – 2015/5/22

ゆたか はじめ (著)

amazon 1,944円(定価)



筆者は本名=石田譲一で元裁判官。1928年生まれ。
子供の頃から電車好きで、戦前の都電、市電、蒸気機関車などを乗り歩く。
結局、日本の鉄道のすべてを乗り歩くという偉業を達成。
驚くのは鉱山などのトロッコ電車にも特別に乗せてもらったという。

戦前、戦中時代のエピソードが面白い。
東京から長崎への鉄道がどれだけ時間がかかり、庶民はどういう暮らしぶりだったかなど。
ローカル線に乗っていれば、その町の方言、会話の中身、生活の臭いなどがわかり、裁判官としても大いに役立ったという。

退職後は沖縄に移住、沖縄に路面電車を走らせようと提唱している。


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都市の朝晩の渋滞の解決策として路面電車は有効なのかもしれない。

行政はバスに期待したが結局は渋滞の影響を受ける。
排気ガスを出すことに変わりはない。

路面電車は驚くほど安価で導入でき、スピードも早い。
ヨロッパの都市では、都心に車を乗り入れることを禁止している都市が多い。

路面電車は電車とバスの良さを併せ持つ乗り物だ。
バスは停留所と停留所の間隔が短い、電車は時間に正確で運ぶ乗客数はバスより多い。
鉄道のように大きなホームを造る必要がない。
階段がないからお年寄りには負担が少ない。


レールの上を走らないバスは都心ではなく、各地域の足代わりを果たせばいいという。
なるほど、そうすれば渋滞で立ち往生とかないし、時間に正確になるし利用者も増えるかも。

この本を読みながら、渋滞の多い都市の交通手段としては
地域の中心は路面電車、その周辺をバス、各地域への足は鉄道&高速鉄道(急行・特急・新幹線)という住み分けにすればいいのかも知れない。
路面電車をちんちん電車と思わないほうがいい、結構スピードが出るからだ。

スピードと効率を追い求めて、結局、非効率で環境汚染の都市交通になっているという気もする。
日本の鉄道をどうするか、尺度が経済的評価しかないから、不採算という理由で地方のローカル線はどんどん廃線になり、住民の不便さも顧みない。
一方で、黒字路線は必要以上にどんどん近代化しスピードと時間の正確性を競う。
この政策は過疎化を促進していることにしかならない。
交通不便な町にしておいて、地方創生なんか出来っこない。
不採算でも廃線にしない理由を見つける努力をしない。
そもそも採算しか尺度を持ち合わせていないからだ。
だから、せちがらくなる、冷たい社会になる、非人間的な社会になる。
「車窓からの景色」「駅の弁当」「各地の方言まじりの会話」「町の臭い」「旅の旅情」なんて笑われてしまう。
これからの子どもたちはどういう旅人になるのだろう。
永六輔は「町の知らない角をまがること、それはもう旅なんです」
と言っていた。

路面電車の活用は、急がば回れという感じ。
鉄道は平和でなければ走れない、本当にそう想います。
鉄道=電車が走っているということは、人々を安心させているんだなあと改めて想いました。


注記

路面電車(ろめんでんしゃ)は、主に道路上に敷設された軌道(併用軌道)を用いる「路面鉄道」(英: Tram、Tramway、Streetcar、独: Straßenbahn)を走行する電車である。
類似のシステムにライトレール、トラムトレイン、ゴムタイヤトラムなども存在する。

トラム=路面電車のこと。
LRT(ライトレール)路面電車と鉄道の中間の都市型電車。路面区間は約40キロ、専用軌道上では時速70キロで走る。





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by 2006taicho | 2017-08-09 20:47 | 最近読んだ本 | Comments(0)

北欧は福祉が充実しているというけど、税金が高すぎるという認識があると想います。
そこまでは知っていてもなかなか実際のことは知りませんでした。
そこで、ちょっとだけ本で調べてみました。
モデルはスウエーデンです。


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『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』

翁 百合 (著), 西沢 和彦 (著), 山田 久 (著), 湯元 健治 (著)

日本経済新聞出版社 2012-11-16

amazon 中古982円




d0098363_100623.jpgスウェーデンの国民負担は確かに高いです。一方で法人税は日本より安くなっています。これは、スウェーデンが外資の受け入れに積極的であるということです。


d0098363_1002280.jpg国や自治体は積極的に税金を投入しています。
社会保障給付率=医療費は歯科も含めて18歳までは無料だ。
公的教育支出率では教育費も大学まで無料。給食費もいらない。
積極的労働市場政策比率=失業した場合、職業訓練制度が充実している。
家族関係支出率=児童手当、育児休業手当、扶養手当、生活保護手当他。


d0098363_109475.jpg男性の取得率の高さに驚きます。
女性もしっかり働いています。
しかも経済成長も成し遂げています。


大きな特徴
1 税制が地方分権型になっているので、日本のように一度中央に集めてから地方に分配する方式ではないので、地方の財政管理力が高い。同時に、町に直接支払っているので住民の行政への関心も高い。

2 社会保障の制度が、高齢者だけでなく若者世代にも税金を投入しているので、住民の納得感が強い。

3 政府に対する信頼が非常に高い。
選挙の投票率は80%。国民は国家に貯金をする感覚で税金を納める。
これは1930年すぎから、様々な思考作誤を繰り返し、その歴史過程で政府に対して信頼が醸成されてきたもの。
「どうせ投票しても変わらない」と考える国民が少ないということ。

スウェーデン人口は960万人、日本は1億3,000万人。
国土は450,295km2で日本(377,972.28km2)の約2倍。
GDPは世界23位(大阪府程度)日本は世界三位。
一人あたりGDPはスウェーデン12位、日本は22位。

人口・経済規模・文化・伝統・生活習慣・国民性などスウェーデンと日本は大きく違う。
国の規模が違えば国家の運営も違ってくる。

若者の失業対策に社会保障費を投入し、失業保険を充実させたり、職業訓練などをどんどん受けさせたり、仕事を斡旋したりと、日本でいう社会保障費イコール高齢者対策費で、現役世代には恩恵がないという認識があるのでここは大きく違う。
そういう税金の使い方をしているから、現役世代も納得しているのだ。


政府と地方とがうまく分権していて、しかも財政の透明性が高いから、国民はいつでもネット確認できる制度になっている。
税制も地方によって特色を活かした税制になっていて、決して画一的ではない。
つまり、その地方の産業、経済規模などをきちんと考慮して税制を構築している。
わかりやすくいえば、北海道と沖縄県では違うだろうということ。

高負担だから不満もあるようだが、その声は大勢ではない。
納税ということが自分の老後のために確実になっているという実感が日本とは違う。
つまり、老後の備えのため、こつこつ貯蓄に回そうと一生懸命になっている感じがない。
そのくらい社会保障が手厚いということなのだろう。


もう一つは、法人税優遇で外資をどんどん呼び込むこと。
大手大資本の誘致で税収は伸び、新たな雇用と新たな技術開発が生まれるという循環方式を目玉政策としている。
結果、それが社会の活性化につながっている。
新たな技術開発は新たな職業の創出にもなる。

スウェーデン方式をすぐ実行すべきだとは思わないし、日本は日本なりのやり方を探すべきだと思う。
参考になる部分を参考にして、国としてのあり方を目指せばと思う。
スウェーデンの政策立案、実証は平均5年計画だとうことが素晴らしと思う。
日本は単年度で予算を組むが、あまりにも杜撰。
毎年こうだから、まるで恒例予算の計上。
それが社会にどう効果があったのか、誰も検証しない。

家計簿のやりくりばかりに目が行って、つじつまを合わせるのに大変というのが日本の印象。
収入と支出、夫婦のこれからの収入は、将来は家を買うのか、家の補修は、病気への備えは、どんな大人になって欲しいのか、そのための教育は、教育資金や結婚資金はいつ必要か、それならいつから貯蓄をしたらいいのか、長期な考えが不足している気がする。

投票率80%が多くのことを示唆している気がする。
日本はまず、これをなんとかしなければと思う。

スウェーデンでは自分の住む町の行政サービス、政策に対して問い合わせたり、注文をつけたりすることが定着している。
税金を地方の自治体が管理運営しているから、お役所が身近な感覚なのだろう。
住民票と印鑑証明くらいしか用がないと思っている日本人とは雲泥の差。


日本の政治家の劣化はほんとうにひどいものだから、それに関心を抱いてこなかったツケを今払わされているのだと思う。
無関心で国がよくなるわけない、黙っていてはダメだということですね。

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by 2006taicho | 2017-08-09 11:40 | 最近読んだ本 | Comments(0)

殺人犯はそこにいる

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『殺人犯はそこにいる』
隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件


清水 潔・著 
新潮社 2013年出版
(単行本amazon中古234円)

キーワード=なぜ再捜査しないのか なぜ国民の多くはこのことを知らないのか

d0098363_0351248.jpg足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月に発生した殺人事件。
その後、誤認逮捕により冤罪被害事件となった。
また真犯人が検挙されていない未解決事件でもある。
当事件を含めて、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は足利連続幼女誘拐殺人事件とされている。
by wiki



2009年6月に釈放されたときの様子はニュースで連日報道されたので、覚えている人もいるでしょう。
この事件の核心はDNA鑑定です。
この足利事件は日本で初めてDNA型鑑定が行われた事件です。
今から27年前、当時のDNA型鑑定はまだ不正確だったのです。
菅谷さんはひたすら再鑑定を望み、ついにそれが叶います。
幼女にブラウスに付着したものと菅谷さんのDNAは一致しなかったのです。
そのことが具体的に描かれています。
我々国民は「DNAが一致した=じゃあ犯人に違いない」そう思っています。
後に検察当局と裁判所は、重要な科学的証拠ではあるが、犯人と特定する決定的証拠とはならない、と述べています。
我々の印象は、TVドラマなんかの悪影響ですね。

d0098363_0372375.jpg菅谷さんは釈放されました。
ということは犯人は素知らぬふりをして、どこかで今も生活しているということになります。
筆者が訴えたいのはそこです。
国会でも質疑があり、警察のトップ国家公安委員長も、内閣総理大臣も捜査すべしと明言しましたが、未だに捜査が始まったという気配がありません。

渡良瀬川の周辺10キロ圏内で5人の幼女が殺された事件なのに。
著者の推測は明らかです。その真相が書かれています。

そしてもっと驚くのは、著者は、新たに発見された真犯人のDNAと完全一致する人物を割り出します。
しかもその人物に直接取材もしています。
それを警察に報告もします。
きちんと取り調べてくれと。

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しかし、警察は独自のDNA鑑定を行い、一致しないという理由で捜査を開始しないのです。
国会で総理大臣が捜査すると明言しているのにです。
総理大臣の意見など本当は要らないはずです。
だって犯人と思われた人は冤罪だったと、検察も裁判所も謝罪しているのです。
人に言われてやることではない、警察の威信をかけてでも再捜査するのが当たり前のことです。


なぜ再捜査しないのか、それが書かれています。
本のタイトル通り「殺人犯はそこにいる」のです。
小説家&評論家の佐野洋は
「この本はピュリッツァー賞の最高の部門・公益部門に相当する」と書いています。

菅谷さんの釈放のことは当時大きく報道されました。
しかし、幼女連続殺人事件のその後の捜査はどうなっているか、大手メデイアは報道しません。
だから国民の多くはこの大事件をまったく知らないのです。
船越&松井の芸能人夫婦の離婚の話題は連日報道するのに。
その話題もそろそろ視聴者が辟易しはじめているとTV局は感じているはずです。
さて次は月曜からの国会だな・・・という具合です。


実際にあった事件、ノンフィクションです。
この本は「単なる足利事件の本」ではありません。
読み始めたら止まりませんでした。
おすすめの本ではなく、読んでおくべき本だとあえて言いたいです。






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by 2006taicho | 2017-07-23 00:53 | 最近読んだ本 | Comments(0)

「公益」資本主義

暑いせいかなかなか読書に時間が回らなかったけど、最近読んだ本の感想。
何かの拍子で偶然ネットで見つけたが、数時間であっという間に読み終えた。
これからの「会社のありかた」みたいなことが書いてある。
提案内容も具体的でわかりやすい。
筆者は学生時代、考古学に惹かれ南米へ、そこで発掘調査に莫大な費用がかかること知り、資格をとるためアメリカの大学へ。
そこからさまざまな経験をしてゆく。
特に、筆者の父親の存在が面白い。
実にユニークで実に真っ直ぐな生き方が素晴らしい。



会社を社会の「公器」ととらえ、経営者、社員、株主、取引先、地域、そして地球に平等に扱うという考えが、公益資本主義。
利益を追求しないのかというと全く逆で、上記の人達とその家族のために中長期的な経営計画を重視し、会社の永続性を求める。
5年以内の計画を短期、5~10年を中期、10年以上を長期と捉えること。
そのためには、新規事業への投資を惜しまない、リスクを恐れない。
利益を内部留保することが肝要だという。
そうすれば、予期せぬ経済環境になっても持ちこたえられる。
持続可能な会社が社会を安定させる。
利益をあげてそれを公平に分配する。

今の株主資本主義はもう終焉を迎えているという。
欧米の手法を真似てやってきた日本は、さっさとこの公益資本主義を目指すべきで、それを実行する国民性があり、世界の手本となるだろうという。
その理由は、日本人の物作りの素晴らしさと、江戸時代からの伝統である「いい商売をしている」という世間の評価を大事して来た姿勢。

具体的には日本の先端医療をまず世界にアピールすること。
日本の技術はそのスタッフを含めて世界トップであるからだという。





マネーゲームをさっさとやめて、格差社会をなくそう、ということ。
日本は新しい社会の規範手本になることが出来るという。

筆者は10年以上前からこの主張を繰り返している。

この本を読みながら今まで読んだ本を思い出した。
『奢れる白人と戦うための日本近代史 松原久子』
『サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ』
『君たちはどう生きるか 吉野 源三郎』
分野は違うけど根底に流れているものは共通すると思った。



富裕株主のための会社経営を行えば、格差が拡大し中間層は消滅するのは自明の理。
グローバル経済の行末は帝国主義。
実際に世界中で紛争やテロが絶えない。
その後ろには欧米企業の武器商人がいる。
アフリカ諸国の貧しい国で一日働いて200円なら、何千円ももらえるアルカイーダに入ったほうがいいと考える若者がいるのは不思議でも何でもないし、家族に仕送りさえ可能だ。
その元凶は欧米の大企業だと言う指導者の言葉にこの若者は納得するだろう。
中間層をなくす今のグローバル経済は結局、民主主義の危機を招く。
政府の監視は中間層の役目だからだ。
貧困層にはその余裕がない。

デフレ脱却といいながら、株価も好調でありながら景気は回復しない。
それは、賃金をあげないからだ。
将来どんなことがおこるかわからないから、ここは貯めておこうということだ。
先が見えない、それが企業にも国民にも浸透してしまっている。

ではどうすれよいのか、具体策について本書は述べている。
この本は二ヶ月前に出版された。
筆者は内閣府の参与もやっていて、安倍さんにも提案したという。
トヨタ自動車の豊田社長も賛同者の一人だという。

世界の人口は70億人を突破している。
あと30億人くらいは増えると予測されている。
時の政府の批判だけでは日本はよくならないが、無関心は犯罪に近い。
世界のことも知らなければ日本はよくならない。
文句を言うなら提案をしなくはならない。
最終的な答えは誰も見つけられないだろう。
自分たちが生きている時点で最善策を模索するしかない。
言えることは、これほど建設的な作業はないだろうということ。
個人的には「お金のない世界」が理想・・・・(笑)






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『「公益」 資本主義』原 丈人・著

2017.5 出版 (文春新書)amazon880円 kindle版
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
原/丈人
1952年大阪生まれ。
アライアンス・フォーラム財団代表理事。
デフタ・パートナーズグループ会長、内閣府本府参与。
慶應義塾大学法学部卒業後、考古学研究を志し、中央アメリカへ渡る。
スタンフォード大学経営学大学院、国連フェローを経て同大学工学部大学院を修了。
主に情報通信技術分野で新技術を創出する企業の育成と経営に注力し、シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリストとなる。
ポスト・コンピュータ時代の新産業を先導するだけでなく、新技術を用いた新興国の支援など幅広い分野で積極的な提言と活動を行っている。


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by 2006taicho | 2017-07-17 22:27 | 最近読んだ本 | Comments(0)

若手弁護士の会

「明日の自由を守る若手弁護士の会」 アピール全文
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2017年6月15日木曜日
共謀罪(テロ等準備罪)が作られた今、怒りと不安で震えるすべての方へ。



 共謀罪(テロ等準備罪)が作られた今、「これからどうすればいいの」
と震えるすべての方へ。

どうか、けっして、萎縮しないで下さい。
その震え、その不安こそが権力の狙いなのですから。
私たちには自由にものを考え、表現する自由があります。
心の中を誰にも覗かれない自由があります。
憲法に違反する共謀罪のせいで、皆さんが自発的に自由を手放したら、永遠にこの国の民主主義は帰ってきません。
一人ひとりが考え、表現し続けることは、「共謀罪」を運用させずに死文化させる大きな圧力になります。

それから、万が一、おかしな政治に声を上げる市民が共謀罪で捜索されたり逮捕されたりしても、けっして「犯罪者」扱いしないでください。
テロ等準備罪というまがまがしい名称で、「もの言う市民」を反社会的な存在かのようにレッテル貼りする手口に乗せられたら、排除を恐れてみんな考えることを止めてしまいます。
自由に政治を批判してなにが悪い、という風を吹かせ続けましょう。


国民の心を侵すことになんのためらいもなく、同法案に賛成した政府・与党、すべての国会議員を、私たちは忘れません。
全身の血が沸くほどの怒りをもって、あなたたちを許しません。

いくらでも濫用できる条文で「物言う市民」を恫喝する現政権に、民主主義国家の舵を取る資格はありません。


落胆、やりきれない思い、徒労感。すべての重い気持ちで押しぶされそうになっているすべての人へ。
それでも希望はあるのです。
あなたがその怒りを前向きなエネルギーに変えてくれる限り!
私たちはいまある自由と、自由でいられる社会を手放したくありません。
子どもたちの尊厳と自由も、穏やかな民主主義の社会も、手放すつもりはありません。
自由を行使し続けることでしか、自由は守り抜けない――憲法が問いかける「不断の努力」の覚悟を、「彼ら」に見せつけましょう。

私たち「あすわか」570名は法律家として、主権者として、「不断の努力」で共謀罪を廃止させることを誓います。


明日の自由を守る若手弁護士の会HP





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by 2006taicho | 2017-06-18 03:01 | 最近読んだ本 | Comments(0)

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「1秒24コマの美 黒澤明・小津安二郎・溝口健二」
 古賀 重樹 (著)  単行本 – 2010/11/30
 Amazon中古1,874円



1秒間に24コマ撮るフイルムを連続して写すのが映画。
この本で知ったことは三人共、絵画に造詣があったこと。
三人共東京の下町で生まれ育ったこと。



溝口健二はヨーロッパでは黒澤より人気があり、当時のヌーベルバーグ(1960年代)の監督たちに多大な影響を与えている。
黒澤明にいたっては18歳のときに二科展に入選している。




黒澤明が雨と風にこだわったのはそんな理由があったのかと思う。
映画「生きる」で主演の志村喬に傘を差し出す役の菅井きんは
「もう大雨の中で、寒くて演技どころじゃなかった」
それが自然な演技につながったという。
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上からの雨もそうだが、地面から跳ね返る雨粒が豪雨を表現している。







小津安二郎監督 「秋日和」の1シーン
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原節子の後ろにある絵は梅原龍三郎の本物の絵。
これ以外にも、東山魁夷など巨匠たちの本物の絵が出て来る。

小津は、姿勢や所作にうるさく、「あと何ミリ前に」とか、「盃を口に持ってゆくのではなく、口を盃に近づけて」「そのほうが酒飲みに見える」という演出をしたという。
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「東京物語」の冒頭のシーン。
子どもたちに会いに夫婦二人で東京へゆく準備をしている。
ラストシーンでもまったく同じ構図で写すが、亡くなってしまった妻の姿はない。
空間だけがある。
夫は寂しいとも言わないし、特に表情はないが、一人きりになった夫(笠智衆)の寂しさがひしひしと伝わってくる。







溝口健二監督は生涯、女性だけを撮り続けた監督。
シーンの長回しが特徴。
「元禄忠臣蔵」 松の廊下の有名なシーン。
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このセットは360度どこからも撮影できるセットでサイズは原寸大。
美術担当者は、国会議事堂を設計した学者が松の廊下の設計図を持っていることを知り、それをもとに復元したという。









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by 2006taicho | 2017-04-18 01:11 | 最近読んだ本 | Comments(0)

映画術

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映画術 その演出はなぜ心をつかむのか」 単行本 – 2014/1/22
塩田明彦 (著) Amazon中古2,096円



映画美学校というのがあるらしい。
そこで、この塩田氏が俳優志望の生徒たちに7回にわけて講義したのもの。

映画におけるもっとも重要なエモーションとは、映画を観ている観客の心の中に生じるエモーションに他ならない、(略)つまり観客は映画を観ながら「演技」を鑑賞したいんじゃなくて、エモーションを感じたいんです。俳優が演技をしていることすら忘れて、映画や登場人物に没頭したいんです。観客をそこまでもっていけたときに、俳優は初めて優れた「被写体」になるんです。だから単に演じることの上をいくことなんですね、被写体になるっていうことは。(ジョルジュ・フランジュ「顔のない眼」)

「他者」から見られている自分を意識しているか否か、人物と人物の関係性を意識しているか否かにあります。単に俳優として共演者の演技を受けるだけでなくて、ひとりの人間として他人をどう意識しているのか、という問題です。(ガス・ヴァン・サントの「サイコ」における俳優の演技とヒッチコックの「サイコ」におけるアンソニー・パーキンスとジャネット・リ―の演技の違い)

(今の「喜劇役者」が)いまひとつピンとこないのは、たぶん、その人たちが「おかしい」ことをやろうとしているからなんですね。でも寅さんは別に、おかしいことをやろうとしているわけではないですよね、多少やるけれども、基本的には「ずれている」ことが大事で、常に他の人とは違うエモーションで生きている。そのことを人生のスタイルにしている、ということが大事なんであって、その場で感じたことを人より大仰にリアクションすることが喜劇俳優の役割ではないんです。(森崎東「男はつらいよ フーテンの寅」)


内から溢れ出てくるものと、ひたすら外から見つめることによって蓄積してきたもの―内側から生れ出ものと、外側からの蓄積によって見えてきたものがスパークした地点に立ち上がってきているもの、それを僕は「魂」と呼んでいるんです。(ジョン・カサヴェテス「こわれゆく女」)




寅さんの映画は涙あり笑いありで綴られてゆくけど、観客はそれである意味ホット安心するのがパターンだ。
ヒロインは結構深刻な問題を抱えたりしていて、それを寅さんが気にするなとばかりに軽い気持ちにさせてくれている。
寅さんがスクリーンに現れると、観客はヒロインの深刻な問題を軽くさせてくれることをどこかで期待する。
そしてその通り寅さんは、自分のヒロインへの思いを隠して見事に解決してくれる。
そんなストーリーを追っているあいだ、観客は寅さんや他の役者の演技などにはほとんど気にかけない。
役者はみんな本当は「演技をしている」のに、その場に定着して違和感がない。




役者はまばたきをしないでセリフを言うのが基本だと思います。
まばたきをするのも演技のうちという技術は最低限のもの。
それくらいわれわれは日常でまばたきをしている。
目はだから大事なんですね。

日本映画はTVも映画も?です。
主演は今一番人気のある十代や二十代の若い男女。
どうして、三十代とか四十代の俳優を使わないのか。
経験のない若者が主役だから映画が薄っぺらなものになっている。
映画やドラマが幼児化している。

それと演出でいうとカット割りが日本は少ない。
会話のシーンなんかでいつも思う。
喋っているシーンではきちんと役者の上半身を写してほしい。
なんでもないシーンなのに俳優の顔のアップが多いいのも不思議。

重要な場面になると、役者の顔をアップにして、長写しするのもやめてほしい。
観客はそんな写し方をしなくても、それくらいは読み取るよと言いたい。
とにかく説明的すぎる。
韓国映画のほうがよっぽど先を行っている気がする。
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by 2006taicho | 2017-04-13 09:22 | 最近読んだ本 | Comments(2)

サピエンス全史

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サピエンス全史(上)(下)文明の構造と人類の幸福 単行本 – 2016/9/8
ユヴァル・ノア・ハラリ (著), 柴田裕之 (翻訳)

きっかけはアスリートの為末氏のtwitterだった。

このブログでは読みかけの本として何度か紹介しました。
ようやく読了しました。




内容は人類のすべてに及んでいて、一言で言うと人類史とその未来。
作者の知識の範囲がすごすぎる。
世界30カ国で翻訳出版され、ベストセラーに。

我々はすでにアンドロイド化しているという。
インターネット、パソコン、スマホ、携帯、各種カード決済を使いこなし、今やこれらのツールがなければ社会が成り立たなくなっている。
ほんの30~40年前には考えられないくらいの進歩だという。
そして今の人類はかつてないほど平和の時代を迎えている、ということを証明してくれる。
エネルギーの枯渇などは全く心配ないことも証明してくれる。
人類の進歩と発展は「善」だということに反対するヒトは少ないだろう。
人類は「自分は何も知らない」ことに気づいて、科学の発展を成し遂げ、終わりのない研究を続けていくだろう。
人々はそれに驚き、資本家はその発明発見を利用し利益を生み出すだろう。



「個人」の尊重。
その結果、地域の絆、面倒をみたり、みてもらったり、相談したり、時には手伝ってもらったり、手伝ったり、年長者の知恵を聞いたり。
わかりやすく言うと、昭和30年代の日本、たとえば「三丁目に夕日」のような地域社会を失っていった。
それは必然であったのだろう、他の学者のようにいいとか悪いとかではなく、作者は、それがサピエンスの選んだ道だという。
そしてなぜその道を選んだのだろうという。
科学の発展は個人の尊重なのだろうかという。



遺伝子工学の世界では、マウスを使って浮気をしないマウスを作ることに成功しているし、マンモスも復元、ネアンデルタール人の復元も可能で、代理母を申し出た女性もいるという。


アルツハイマー病の薬が開発されたら、人類はそれをもっと有効にするだろう。健康な人に投与して超人的な記憶力を獲得することも可能になる。


片腕を失ったひとのために開発されているバイオニックアームは、本物の腕以上の腕力を獲得できる。しかもそれは数年ごとに取り替えられ、腕から取り外し遠隔操作もできるという。



最も革命的なのは、脳とコンピューターを直接結ぶ双方向型のインターフェイスを発明する試みだ。
コンピューターで人間の脳の電気信号を読み取ると同時に、脳が解読できる信号を脳に送り込むことができる。それをインターネットにつないだらどうなるか、人間の記憶や意識やアイデンティティに何が起こるだろう。一人のサイボーグが、別のサイボーグの記憶を検索できる。まるで自分自身の記憶のように直接思いだせるのだ。心が集合的になったら、自己や性別のアイデンティティなどの概念はどうなるのか?

そのようなサイボーグはもはや人間ではなく、生物でさえないだろう。
あまりに根本的に違いすぎて、それが持つ哲学的意味も、心理学的意味合いも、政治的意味合いも私たちには到底把握できない。


多くのプログラマーは作り手から独立して、自由に学習したりできるプログラム生み出すことを夢見ている。
それが実現すれば、そのプログラムは創作者も他の誰も予想できない方向に自由に進化することになる。
そしてこのようなプログラムはすでに存在している。
コンピューターウイルスだ。
ある日、そのウイルスをコピーするときミスが起こる。
コンピューター版の突然変異だ。変異したウイルスがそれまでのウイルスより抗体が強かったらどうなるか。

2005年に始まったヒューマンブレインプロジェクトの責任者によれば、10年か20年のうちに人間とほとんど同じように話したり振る舞ったりできる人工の人間の脳をコンピュターの中に完成できるという。
もしそれが完成すれば、生命は40億年にわたって有機化合物の小さな世界で動き回ってきた後、突如、広大な非有機的領域に飛び出し、私達には想像もつかないような形をとれることになる。
このプロジェクトは2013年、欧州連合から100億円以上の補助金を受け取った。


つまりヒト科のわれわれは、頭脳明晰で絶えず進歩し変革する。
その変革物を利用し新しい価値観を生み出し、新しい生活スタイルを生み出してきた。
そしてその頭脳明晰な我々は、我々の代わりをしてくれるものを作り出すだろうという。
そしてその作業はすでに始まっているという。

最後に作者は言う。

「我々は何を望んでいるんだろう」

「我々は何を望まなければならないのだろう」







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by 2006taicho | 2017-02-24 15:55 | 最近読んだ本 | Comments(0)

二足歩行

人間は二足歩行になって進化のスピードがアップしました。
手を使えるようになったからだそうです。
同時に苦難も発生したそうです。
それは肩こり、腰痛です。
脳が他の動物よりも大きく、それを支える首の疲労で肩にくるわけです。
それと、二足歩行には腰回りをスリムにする必要があったそうで、そこから腰痛も始まりました。

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もう一つはこれは重大な変化です。
女性の出産です。
腰回りが次第にスリムになると同時に、産道も細くなりました。
結果、死産が増え、乳幼児の死亡率は高くなりました。
今のように十月十日の時代ではなく、出産はもっと長い期間を経て出産をしていたそうです。
つまり胎児の頭部などが肥大しているのに、産道は狭くなっていたので、出産は危険に状態になっていったというわけです。
しかし、早産の場合は死亡率が低いことに次第に気づきました。
そういう進化を遂げたそうですが、これには続きがあって、その結果、生まれたばかりの赤ちゃんは自分ではなにもできません。
他の動物のように、生まれて数時間後に歩けるということができないのです。
つまり、母親の保護なしでは死んでしまうこになるのです。
そこで、仲間で次第に助け合うようになっていったというのです。

もう一つは教育の発生です。
他の動物と決定的に違う部分です。
他の動物達は、食料の狩猟の方法、敵を察知する力などを親から学ぶだけです。
ライオンやゴリラや馬や牛は、あくまで生涯その生き方を変えることはありません。

人間の子供だけは母親や父親を中心に、社会へ出たときの教育を受けます。
おっとりした性格、短気な性格、粗暴な性格、温和な性格に育てることができます。
キリスト教徒、仏教徒にもなれますし、資本主義者、共産主義者にもなれます。
戦争を好む人間、平和を愛する人間に仕立て上げることもできます。

二足歩行によって受けた影響がこんな結果を生みました。
仲間で集団で育てる、という小さいけれど社会の発生と絆の誕生です。
もちろん、そういう進化を遂げるまでには、何千年という歳月が必要だったというのです。

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by 2006taicho | 2017-02-06 01:38 | 最近読んだ本 | Comments(0)

何種類もの人間がいた

まだ読み終わっていない本なんですが、断続的に紹介したいと思います。



今のすべての人間は、分類上、ホモ(人間)サピエンス(賢い)という一種類になります。
トランプ大統領もピコ太郎も同じ仲間です。


人類誕生は25万年前だそうです。
人間は、東アフリカで誕生し、ルドルフフェンシス、エレクトス、ネアンデルタール人などです。
彼らは、東アフリカ、東アジア、ヨーロッパ西部を歩き回ったそうです。
知らなかったのは、ヒト科の人間が、何種類も同じ時期に地球上に存在していたということです。
白人、黒人、黄色人種という区別ではありません。

ネコ科にはライオン、チーター、ネコなどがいますが、ネコ科の動物たちにも絶滅したものもいたはずです。
ヒト科の我々も同じだということです。
ヒト科にもいろんな種類の人間がいたのですが、他の種類の人間は絶滅したのです。



そのヒト科の中には、大柄なものもいて、矮小なものもいて、恐ろしい狩人もいて、温和な食物採集者もいたというのです。
多くのヒト科の人類は大陸を歩き回りました。
その全てがヒト科のホモ属(人間という意味)で、彼らはみな人間だったというのです。



その頃の人間という動物はウサギや、狐や、イノシシは捕獲したでしょうが、ライオンなどの肉食動物に怯え、自然界では取るに足らない存在だったそうです。
つまり、食物連鎖っていうやつです。
食物連鎖の頂点にいるライオンや象には勝てませんからね。

その頃の人間の位置はどのあたりだったんでしょうね。


今の人間は明らかに食物連鎖からみれば頂点に立っています。
ライオンや象を捕獲する多くの武器や道具を作り出したからです。





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こういう図が人類は単一の生き物だったと思わせるのでしょうね。
北京原人とかクロマニヨン人とかネアンダルタール人とかの末裔として、我々ホモ・サピエンスが存在するというのは間違いだったというのです。





どうしてホモ・サピエンスだけが生き残ったのでしょう。
今、その部分を読んでいるところです。







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by 2006taicho | 2017-02-04 00:57 | 最近読んだ本 | Comments(0)