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隊長ブログ

知っておきたいこと

認知革命だって

読みかけの本から引用します。



実証研究での報告。
人間は少人数ではうまくやっているが、これが150人以上になるといろいろな問題が起こってくるという。
会社でも、150人以上になると反対勢力が現れて、組織が歪んでくる、商店でも今まで家族経営でうまくやっていたのに150人以上になると、当然そこには他人が入り込んでくるから、こちらもやはり分裂だのなんだのと文句を言い出すという。
150という数字は魔法の数字らしい。

例えば、チンパンジーを広場に1000匹集めたら大混乱になる。
しかし、人間は整然と並び、秩序を守る。

ではなぜ、人間は秩序を守るのだろうか。
わかりやすい例は、宗教だ。
教会の入り口で、たとえ初めてあった人にも軽く会釈をしたり、世間話をするのは、キリスト教をお互い信じているという暗黙の了解があるからだ。
バチカン広場に多くの人が集まってもなんの混乱もないのはそのせいだ。
彼らはみな、ローマ法王のありがたい説法を聞きにきたのだ。

これを「認知革命」というそうだ。

集団での決め事、約束、目標、ときには敵をやっつけるための作戦。
リーダーがそれを推進し、彼はみんなの信頼を得てゆく。
集団は次第に仲間が増え、他の集団より優位になる。

それを助けたのが「言葉」の発達。
実は何万年も前から、チンパンジーは言葉を持っていて、「ライオンだ、気をつけろ」という警告を仲間に発していたという。
クジラやイルカが言語に近いものを持っているのは有名だし、キリン、象なども言語があるという。

言葉も各地域で全く違っていたという。
それは現代も変わっていない。
我々は生まれた地域によって未だに覚える言葉は違う。

そして人間が他の動物達を圧倒できたのは「文字」の発明。
文字は記録だ。

学者たちはこれがなければ古代の検証は困難を極めただろう。
そしてこの文字も、生まれた地域で全く違う文字が使われている、それは現代も変わらない。







引用終わり






共通言語、共通文字は存在するが、未だに地域ごとに違う言語・文字は消滅していない。


これだけ意思疎通の速度が早くなり、その手段は普及しているのに言語は統一されないのはなぜだろう。

日本国内には北海道から九州沖縄に至るまで多彩な言語(方言)がある。
そのどれを使っても通じるというのはなぜだろう。

一方で文字はきちんと統一されている、文字に方言はない。
「おおきに」という言葉を文字にすれば、北海道のヒトも沖縄のヒトも「おおきに」と書く。
学校教育という要因は大きいが、それは歴史から見ればつい最近のことだ。

人間の思考や言葉を目に見えるものとして表現したものが文字、耳がなければ聞こえない言葉。
目と耳の関係。

話し言葉も、相手が幼児なら、わかりやすく喋ることができるし、文字もひらがなを多くする。
「よろしく」と書く場合もあるし、「夜露死苦」でも通じる。
ニュアンスが違ってきて、より書き手の思いを伝えることもできる。
話し言葉も相手が目の前にいれば、身振り手振りで補完する。
最近では絵文字さえ発達している。
何万年後、人類はこの絵文字をどう捉えるだろうか。(笑)
そのまえに人類なのかどうかも誰もわからない。

目に見えない「虚構」の発達。
最初は、ちいさな決め事や約束事だったものが、それが発展し、確固たる約束事や信念になり、次第に多くの人の賛同を得て行ったというわけだ。
寓話や神話など宗教性の強いものはその代表格だ。
この虚構が人間の拠り所になり、一度理解すればあとは説明の要らない組織になり、発展してきた。
そしてそれを悪用もし、よくもしてきた。

現代もまったくそれは変わらない。
宗教の法典、仏教の教え、憲法、法律、あるいは論文。
もちろん原典は文字として存在するから目にすることはできる。
が、それをどう読み取り理解するかは必ずしも一致しない。
それはその人にしかわからない。
目に見えないし耳に聞こえない。
正しく理解したかどうか、どれが正しい理解かも多くのヒトに確かめなければわからない。
そして、多くのヒトが認めたとしてもそれが真理なのかも本当はわからない。
キリスト教の天動説と、ガリレオの地動説を思い起こせば理解は早いだろう。
1630年ガリレオは地動説は発表し、キリスト教の教義に反するとして裁判にかけれ終身刑を受け死亡。
ローマ法王庁が過ちを認め謝罪したのは1992年だ。



こういう本を読んでいると、今わかっているたったひとつの文章を書くのに何万年もかかっているということに、ため息が出てしまう。

ピラミッドとか地上絵とかマチュピチュとかローマ遺跡とか、現代の科学技術で調査してもきちんと解明されていない建造物はたくさんある。
古代の人達のほうが本当は賢かったんじゃないのとさえ思う。



今の原型となる人類が現れたのは7万年前といわれてもなあって感じ。
考古学なんて大昔のこと、現代にどんな関係があるのか、ほとんど関係ないだろう、そう思っていた。
しかし、今は知っておいたほうがいいと思う。
結局、すべての生物の頂点にいる人間のなすべきこととは、という認識が強くなる。

永久凍土から今も新しいウイルスが発見されているし、最近では発掘されてでてきたヒトの指から新しいDNAが発見されたりしている。
技術が発達し仕事を失っている現実もある。
メールが主流になり人々は逆にその返信で忙しくしているという。
悪意のある虚構を作り出し、争いに向かっている現実もある。

よく、動物や植物が、環境の影響を受けて進化した、あるいは退化したときく。
ダチョウは昔は飛べたけど今は飛べない、でも鳥だとか。
生きてゆく上で必要な部分と、不要な部分が次第にはっきりしてくるということ。

現代人はかつてないほど、長生きだけど、その後の人類の進化はどうなっていくのか、確認することは誰もできない。
地球があるのかもわからない。

しかし我々の体の中には種の保存機能がある。
親が亡くなれば手厚く葬り、感謝の気持ちで手を合わせ、祈りを捧げる。
それはなぜだろう。
育ててもらった恩義からなのかもしれない。
ではなぜ恩義を感じるのだろう。
それが7万年前の認知革命から続いてきた、人間であることの証明なのかもしれない。
人類は子供を産まなければ100年足らずで滅びることも確かだ。

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日本人はお彼岸やお盆の時期になると先祖を参る。
日本の家庭の中には仏壇がある。
ロウソクを立てて、線香をあげて季節の果物などの供物を添える。

先祖に、親に、手を合わせるのは、あれは今生きている自分へも向けられていると私は思っている。










by 2006taicho | 2017-02-10 18:49 | 知っておきたいこと | Comments(0)

おかしいことはおかしいと言う


by rei7955