1952年に生まれた 1

時間のあるときに読んでください。



権力は、都合の悪いことを隠します。歴史が証明しています。
忙しい日常の中で、世の中の動きを知るにはマスメデイアと呼ばれるTV新聞などの報道機関です。
表現の自由でそれは保証されています。
ニュースをみて私たちは、驚いたり、悲しんだり、時には感動したりして、生活しています。
国内は当然、海外へも発信されていますから、メデイアの影響は計り知れないものがあります。
国民の生活に影響するようなことは、しっかり取材をしてその真実・事実を冷静に伝える使命を負っています。
ニュースの中でおかしいと思うこと、なぜそうなのかと疑問に思うことを、きちんと取材し、相手に説明を求め、それを国民に公表することはメデイアの権利であり、義務でもあると言えます。
それこそがメデイアの存在意義でしょう。
時の政権の圧力に負け、報道すべきことをやめたり、都合の悪いことは報道しないと、最初から決めるようになったら、どういうことになるでしょう。
われわれ国民は毎日、ニュースに接します。
なにが隠されているのかなんて知る由もありません。


メデイアを使って、自分たちの意図したイメージを国民に植え付ける。
手法は古いですが実に効果的です。
学校で使う教科書は、時間をかけて行いますが、子供たちを洗脳する強力なアイテムです。
学校で習った、という意識は、だから正しいんだという感覚になります。
大人になってその意識を変えるのは大変です。
なんだか自分の一部が崩れ落ちろような気持ちにさせられるからです。
学校の教科書を100%信じてきたからです。
「鬼畜米英」「天皇陛下万歳」「ほしがりません勝つまでは」日本もそういう時代がありました。
時の政府の(権力者の)こういう手法を、プロバガンダ=大衆操作といいます。


イントロからなんだか深刻なはなしで申し訳ないです。
この何年間か読書を中心にいろんなことを学びました。
学んだことは、このブログを訪問してくれている人にも教えてあげたくて、感想として何度も掲載してきました。

本日はこれまで学んだこと、知ったことを一挙にまとめて掲載します。
part1 part2にわけて掲載します。
日本人として知っておいたほうがいいと、私が勝手に判断したことですが、読み進めるうちに、その意図も伝わると思います。


まずは、71年前の日本へ行ってみましょう。

















1945年 6月26日 国連憲章が完成 51ヶ国が批准。

d0098363_12401931.png国連という名前くらいしか知りません。あとは常任理事国という名前。
ここで決まらないと物事が進まないらしい。
掲載したのは、この国連憲章を基本にして、世界中の国の憲法が決められているらしいから。軽く言うと憲法制定マニュアルかな。
この当時は51カ国だけど、現在は約200カ国が加盟している。
地球上の国の集まり。IOCはスポーツの集まり。
国連以上の組織は今のところ地球上にはない。

◆知らなかったこと
国連憲章53条と107条 日本とドイツは国連憲章の条文の中で「敵国」とされいる。
「敵国とは、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」
つまり、日本とドイツのこと。

この条文は、現在も正式には削除されていません。






1945年8月6日、9日 広島と長崎へ原爆投下

★多くの日本人が知らないこと
アメリカの多くの人たちは、原爆投下によって、戦争を早期に終わらせたから、結果的によかった、投下しなければ日本は引き続き抵抗して、もっと多くの犠牲をだしただろう、と言っています。

これを聞いて怒りに震える人も多いと思います。
でもアメリカ国内ではこれが普通の考え方です。
アメリカの教科書にそう表現されていることも、影響しているんでしょうね。

★アメリカ国民の知らないこと(恐らくアメリカ政府が意図的に知らせなかったこと)
私見ですが、アメリカの国民は、70年経った今も原爆の影響は続いていることをどこまで知っているのでしょうか。
放射能の影響を考え、被爆者であることを一生隠しし続けている人、被爆者であるため結婚をあきらめた多くの人、そして今、被爆二世三世の人たちが放射の影響と差別に苦しんでいること。
被害を少なくしたという意見は、原子力=放射能についてあまりに無知過ぎると思います。





1945年 8月14日 ポツダム宣言受諾(無条件降伏)

先の大戦で兵隊・民間人会わせて310万人が犠牲に。
★知らなかったこと
ソ連2060万人、中国1321万人 ドイツ689万人、アメリカ29万人など。
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翌日、天皇の玉音放送
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1945年 9月 2日 降伏文書に調印(東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリ)
★知らなかったこと
調印式の模様はラジオを通じて世界中に流れたそうです。



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重光外相と梅津参謀総長が署名

国際的にはこの日が終戦記念日。







          連合国軍GHQ進駐軍(米軍)がやって来た







1945年 9月27日 天皇とマッカーサーの会見


会見の内容は公式には明らかにされていない。
ただ、天皇は戦争責任は自分にあると認めマッカーサーに伝えたと言われている。
アメリカ側は戦時中から天皇について調査していて、日本国民が敬愛していることを知っていた。
マッカーサーも、天皇の名前で布告すると日本人はそれを守り、徹底することに驚いたらしい。
天皇に戦争責任を負わせることより、占領政策を順調に進めるために天皇を利用したほうが賢明だと、判断したというのが一般的な説だ。
★知らなかったこと
一方で天皇は、国内の共産主義の台頭を大いに恐れ、その制圧に進駐軍の力を希望していました。
米軍が唯一日本に上陸したのは、沖縄と硫黄島す。
天皇は、沖縄に米軍が引き続き駐留することを希望していたことも明らかになっています。

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1947年 5月 3日 日本国憲法施行

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現在の日本の最高法律。敗戦後、二年足らずで出来たことにちょっと驚きました。
作ったのは連合国最高司令官ダグラス・マッカーサー。もちろん、下書きは彼の優秀な部下たち。英文で作成し、日本側がそれを和訳し、訂正・交渉を重ね完成。
これ以上の使命感と責任のある仕事があるだろうか、というのが個人的感想。





1949年 8月29日 ソビエトが核実験を行う

これは当時のアメリカ政府に大きなショックを与えました。
史上最大の殺戮兵器がアメリカ以外の国が持ったからです。
冷戦時代の始まりです。
そして、極東アジア、特に日本を有効に活用すべしという戦略が強化されることになります。





1950年 6月25日 朝鮮戦争勃発

 
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北朝鮮が38度線を越え韓国に侵攻。
北朝鮮をソ連と中国が、韓国をアメリカ(西側諸国)が支援。
マッカーサーはこちらの最高司令官も務めた。
冷戦構造が明確になった。
★1951年、戦略などの意見の違いでマッカーサーはトルーマンに解任される。
その後、大統領選に出馬するが落選。

























1950年 7月   警察予備隊発足

米軍が朝鮮戦争参戦したため、手薄になった日本国内の反乱活動など、治安に不安を覚えたマ-ッカーサーが警察予備隊設置を吉田首相に指示。
今の自衛隊の前身がつくられる。
あくまでも、国内の民衆の騒乱、反乱を鎮圧するための組織だった。





1951年 9月 8日 サンフランシスコ講和条約調印 

        
★講和条約と安保条約を簡単に言うと
講和条約第3条で、沖縄と小笠原諸島はまだ返さない、第6条で安保条約の締結を有効にし、安保条約第1条で米軍の日本駐留を認めるという取り決めです。

第3条
「日本は、アメリカが国連に対し、沖縄や小笠原などを信託統治制度のもとにおくという提案をした場合、無条件でそれに同意する。
しかし、そうした提案が行われるまでアメリカは、それらの島に対し、行政、立法、私法上のすべての権力を行使する権利をもつ」

第6条a項
「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力が発生した後、なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にも90日以内に、日本から撤退しなければならない。
ただしこの条文の規定は、二国間で結ばれた協定(安保条約)による外国軍(米軍)の駐留を妨げるものではない」

第3条は沖縄と小笠原について、第6条は安保条約(日本全土)の法的根拠を証明している。

講和条約は、サンフランシスコのオペラハウスで華やかに調印(52ヶ国)
日本の代表団は吉田茂首相以下6人。




        
日米安全保障条約調印

        

日本に米軍基地がある根拠となる条文

第1条
平和条約およびこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍および海軍を日本国内およびその付近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国はこれを受諾する

この条文で、アメリカは日本のどこでも、いつでも、好きな場所に基地を置くことができるという解釈が可能になりました。
アメリカの最大の狙いがこれでした。




さて講和条約に署名した同じ日、日本は安保条約にも調印しました。
しかし、
日米安全保障条約は英文しか作成されていませんでした。
条約を渡されたのは調印の前夜。日本側は深夜大慌てで日本語文を作成しました。
翌日、講和条約に調印したあと、今度はワシントン郊外の下士官用のクラブハウスに移動して、吉田茂一人だけが署名しました。
他の日本代表団は内容をみて、とても納得できないと署名を拒否しました。
吉田首相は同行した池田勇人(のちに首相)に「これは将来の君のためにならないから署名しなくていいよ」と言っています。
アメリカの高官は
「これに署名して日本に帰ったら、誰かは暗殺されるかもしれない」
と述べています。
調印の段取り、英文しかないなど、アメリカ側がいかにこの条約が日本にとって不平等か十分認識していたことが明らかになっています。
 




1952年 2月28日 日米行政協定調印 岡崎勝男外相が署名
 

日米行政協定というのは、安保条約の細則です。

第2条1項
「日本国は、合衆国に対し、安全保障条第1条にかかげる目的の達成に必要な基地の使用を許すことに同意する」

この条文の意味は、アメリカが必要な基地だといったら日本は拒否できない、という意味です。日本全土に基地を置けるという解釈が可能になっているのです。

(アメリカと地位協定を結んでいる他国の場合は、場所をきちんと明記しています。)

日本全土の基地化、制空権、米軍に対しては憲法は除外とする治外法権、沖縄と小笠原諸島はアメリカの管轄下におく、日米合同委員会設置などが決まりました。

★知らなかったこと

■日米合同委員会とは
日米合同委員会は、港区のニュー山王ホテルという米軍施設で、現在も毎月二回開催されています。
日本側は全員官僚ですが、アメリカ側は全員軍人という異様な組織です。
通常ならアメリカ側は国務省の官僚が出席するものです。
しかもなにが話し合われたのかは、非公開になっています。
国民の税金で生活している人たちが、他国との話し合いを国民に内緒にしていいわけがありません。
もう一つおかしいのは、両国とも、決定権限のある政治家を排除していることです。

これは私見ですが
理由は二つ
1.政治家の身分が流動的だということ。
彼らは選挙で落選もあるし、首相、大臣になっても任期が極めて短いから。
2.(こっちのほうが本音だと思うのですが)シナリオが完成してから役者を呼べばいいと思っているのではないか。
シナリオが完成してから、国会で答弁させればいいと。
会議に出席させて、都合の悪い文書まで見せる必要はない、ということではないでしょうか。

だから恐らく、日米の情報交換、今の政治状況、現在の政権への指導・圧力がメインなのではと思います。

今から60年以上も前から延々と続いているこういう非公開の会議の存在を、ほとんどの国民が知らないということが一番の問題です。

外務省HP





1952年7月23日 統一指揮権密約

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吉田首相と米軍極東司令官との口頭機密文書(30数年前の1981年にアメリカの公文書の中から発見されました)
1954年にも再度結ばれています。

内容
戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断したときは、すべての日本の軍隊は(略)アメリカ政府によって任命された最高司令官の指揮のもとに置かれる

自分の国の軍隊(この場合は自衛隊)が他国の司令官のもとにおかれる、こんな密約を交わす国は独立国でしょうか。

今の安倍政権が進めていることがはっきりとわかります。
この機密文書の存在を安倍さんは今後どう説明するか。
我が国が攻撃されたときは、誰が指揮をとるのか?
どっちも米軍の司令官だというなら、防衛予算(5兆円)はアメリカの予算で組んでもらうのがスジだろう。
日本国民の税金で予算を組み、それを使うのはアメリカだなんてあり得るだろうか。








1953年 7月27日 朝鮮戦争が休戦状態になった


国際法上では現在も休戦中 終結していません。
このことが、日本や韓国に米軍基地があることの理由になっています。
しかし、現在の国際社会は、日本も韓国も北朝鮮の脅威には対抗できるだけの軍備があると見ています。
つまり、アメリカの本命は中国の脅威ということです。

アメリカも中国も常任理事国です。
ご存知のように、常任理事国の権利は絶大で、一カ国でも反対するとなにも決定できません。
そこで、あっちの条件、こっちの条件と色んな策を練ってなんとか合意に向けて努力するということになっています。
結局、そのごあの条件はどうなった、こうなった、話が違うじゃないか、いや必ずしもそうではない、とか。
本末転倒になってしまっていて、なんだかよくわからないねえ、ということになっているようです。

私に言わせれば、東西両陣営の強欲さのせい、だと思います。
「日本に来て、山にこもって座禅でも組め!」と言ってやりたいですね。






1954年 7月 1日 自衛隊創設





1955年11月   ベトナム戦争(1975年 4月30日終結)



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日本人カメラマン沢田教一氏のこの写真はピューリッツア賞を受賞した。
支配層のためのメデイア報道ではなく、真実を報道するカメラマンの存在、重要さが認識されはじめた。
今でも、身の危険を覚悟で中東などの紛争地域に向かう報道記者が世界には大勢います。
現地の実態が正しく伝えられていないことの証明になっています。
大手メデイアが本当のことを伝えていれば、そんな危険を冒す必要はない筈です。
★知っていましたか?
ベトナム戦争もそうでした。
アメリカのCIA工作員が仕掛けた戦争でした。
大手メデイアは、アメリカ擁護の報道姿勢でした。
1971年 6月 ニューヨーク・タイムズの記者が、ベトナム戦争への本格的介入を目論むアメリカ軍と政府が仕組んだ捏造した事件であったことを暴露しました。
当時国務長官であったマクナマラも、1995年に同様の内容を告白しています。
捏造は8月4日の事件であり、8月2日に行われた最初の攻撃は、アメリカ海軍の駆逐艦を南ベトナム艦艇と間違えた北ベトナム海軍の魚雷艇によるものであることを北ベトナム側も認めています。







1955年11月15日 自由民主党結党


★知っていましたか?
結党にあたり、CIAから巨額の資金が提供されていたこともあきらかになっている。当時の金額で10億円くらいらしいので、今に換算すると100億円くらい?
自民党がアメリカの言いなりなのはこれが原因?
というか、日本を操るために、アメリカが作らせたと考えたほうが分かりやすい。

また、日本社会党にも右派と左派の分裂資金として資金が提供されていることもアメリカの公文書で暴露されている。
CIAのもくろみ通り、社会党はその後、分裂解党しました。
今は民進党にその名残があるだけです。
ところで、
安倍さんは、憲法はよその国が作ったから自前の憲法を作るんだと言っていますが、それなら自民党もいったん解散して、自前の資金で作りなおしたら、と思いますがどうですか。




1957年 7月 8日 砂川事件発生
     


d0098363_1219527.jpg★多くの日本人が知らないこと
基地反対のデモ隊のうち7名が基地内に立ち入ったとして逮捕されました。
争点は駐留米軍基地は憲法違反かどうかということ。
一審では米軍駐留は違憲だとして、被告人たいは無罪となりました。
しかし、検察側はなぜか、二審を飛び越していきなり最高裁へ持ち込む。
そして最高裁では一審(地裁)判決を棄却し、差し戻しとなり、地裁で今度は有罪となりました。

後年、アメリカの公文書館で公開された事実は以下の通りです。
地裁の最初の無罪判決が出されると、時の駐日大使マッカーサー(マッカーサーの甥)が日本政府に圧力をかけました。
検察には、二審を飛び越えて争うように指示し、最高裁には時の最高裁長官に有罪にするよう働きかけました。
時の最高裁長官の田中耕太郎氏は、アメリカ大使と極秘裏に打ち合わせをし、アメリカ国務省の細かな指示を受けて、判決を下していました。

検察庁も最高裁もアメリカの言いなりで、これじゃ一般国民が勝てるわけないですよね。



しかも、アメリカの指示で出したこの最高裁の判決要旨が、日本の自主独立を放棄した屈辱的な判例になるんです。


判決要旨
 国家間の政治的に高度な判断を要する事案については最高裁は判断しない。


 
つまり、日米安保条約、地位協定については判断しない、という判決。
これで、在日米軍との条約、協定、密約は、憲法より優先されると、日本国の司法の最高機関が判断したことになったのです。
★知りませんでした
その証拠に、福島原発事故をうけて、日米原子力協定が改訂されたとき、「国家間における重要な取り決め」と明記されたことです。

その後の最高裁の判決は、例えば米軍のジェット機の騒音被害については、騒音そのものは認定しても、その元となる米軍基地の存在については
国家間の高度な政治的判断を要する事案であるとして判決を避けます。

もとを断たなきゃ駄目だということは、中学生でもわかる話なのに。
たとえ賠償金をもらっても、米軍の戦闘機は飛び続けることが可能というバカみたいな判決です。
しかも、その賠償金は日本政府が払っていました。
アメリカが支払うべき賠償金なのにです。
信じられますか。


1954年時点から三権分立は崩壊していました。
本来の司法の独立とは、時の政府に行き過ぎがあれば、憲法を判断規範として判決を出し、是正させることができる、ことの筈です。
そうでなければ、権力の暴走は止められないからです。
法によって裁くのは、罪を犯した国民だけではないのです。
独裁国家を防止するためという機能を持たせているのです。

国家間の重要な取り決めとは、それだけ国民に重要な影響があるという意味です。
だから国民が、「今回の取り決めはおかしい」と思ったら裁判に訴えることができるはずです。
相手がイギリスやドイツや中国や北朝鮮だったらと、相手国を変えて考えれば分かりやすいと思います。
国家間の重要な取り決めこそ、司法は中立な立場で判断するべきです。
自民党は「アメリカとの重要な取り決め限定」にしている、と個人的には思います。
ひどい話です。








1960年 1月19日 新・日米安全保障条約調印 日米地位協定調印
              岸信介首相、藤山外相他が署名




1960年 6月   安保闘争激化


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当時の国会での強行採決、直後、岸内閣は総辞職。
東大生・樺美智子さん死去(デモ中に胸部圧迫によるとされている)





1960年 6月23日 日米新安全保障条約施行 日米地位協定施行




1968年 6月26日 小笠原諸島返還




1969年     沖縄への核持ち込みを認める日米機密文書



d0098363_12835.jpg★知っている人は知っている事実
核兵器をもたず、つくらず、もちこませずの三原則を破る機密文書。
1972年の沖縄返還を前に佐藤首相が密かに署名。
右の写真をみると、えいさく さとうと署名しています。
(あろうことか、佐藤首相はのちにノーベル平和賞を受賞)
当時の国会答弁ではそんなものはないと否定。


2009年、佐藤首相の遺族が機密文書を保管していたことを証言






1970年6月 安保条約延長


★国会議員の多くが知らないのがこの自動延長。
安保条約は60年に締結し、10年間経過したら、双方異議がない場合は一年ごとに自動延長される。
だから、1970年以降は毎年、一年の期限で延長されているということ。
つまり、アメリカに、安保条約をやめようということはいつでも可能だということです。





1972年 7月15日 沖縄返還


戦争が終わって27年、ようやく日本は元の領土を取り戻しました。
返還前までは、甲子園大会に出場した沖縄の代表は、パスポートを求められたり、税関で異国の土は持ち込めないと言われ、泣く泣く甲子園の土を海に捨てたという悲しい事実もありました。







1978年     思いやり予算をスタート

        2011〜15年度は年平均1866億円を支出。

★日本人の多くが知らない異常な税金の使われ方
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基地を借りているのはアメリカなのに借地料として日本が1800億円支払っています。
電気ガス水道料金25億円は、米軍は負担ゼロで日本政府が支払っています。
米軍関係車両の自動車税は特例で5分の1に減免され、沖縄だけで減免分は10億円ですから、本土にある分を加えると20億円以上になります。
その他、官舎、基地施設、ゴルフ場、ボーリング場、基地内の学校など建設費もすべて日本の税金で支払っています。
これらは日米合同委員会で決められ、地位協定の付属文書として合意事項に加えられます。
日米双方で話し合い、勝手に決めたことではないという言い訳が可能になります。







ここまでで、終戦から33年ほどが過ぎました。

なにを言いたいかというと、安保条約と地位協定の不平等さです。
そして、都合の悪い約束、機密文書を隠ぺいし続けてきて、その影響や被害を国民に負わせていても一向に改善しようとしない歴代政府の態度です。


ここで覚えておいてほしいこと、知っておいてほしいことは多くはありません。
アメリカは、日本全土をいつでも米軍基地として使える、
米軍の行動は日本の憲法の適用除外
自衛隊の指揮権は日本ではなく、アメリカにある。
ほかにも沢山ありますが、この三点で十分でしょう。
この安保条約と地位協定をなんとかしないと日本は独立国とは言えないと思うので、それを是非知ってもらいたいというのが掲載の意図です。



終戦直後、連合国(米軍)の要求をほとんど受け入れざるをえない状況というのがあったのは事実です。
当時の日本の代表の人たちがすべて悪い、と決めつけることはできない気もします。

戦争に負けた国はそういう意味で悲惨です。
ただ、当時の実情がどうだったのか、資料や証言を集め、それを今の人たちに公開することは重要です。
戦争証言や被ばく証言もその一つです。
どうしてかというと、私たちの父母、おじいさん、おばあさんたちが生きていたから今の私たちがいるのです。
親は子の幸せを願います。
それは世界中の親の気持ちです。


終戦から33年、日本は飛躍的な発展を遂げ、先進国の仲間入りをしました。
真面目で勤勉な国民だと世界は評価しました。
戦後の日本人はアメリカにあこがれ、アメリカの真似をし、アメリカの言うことをきいていれば安心だと思いました。
それは今も続いている気がします。

しかし国の発展の陰で、安保条約と地位協定という、アメリカとの不平等な約束もしていました。
敗戦国の負の遺産といえるかもしれません。




情けないのは、こういう交渉の資料や重要な条文、機密資料が、アメリカの公文書館で見つかることです。
日本の政府(特に外務省)は国民に公開する気はまったくありません。
1999年、情報公開法が施行される直前、外務省は機密文書など、重要書類を破棄していたことを国会で東郷氏(外務省条約局長)が証言しています。
正義感さえもアメリカのほうにあるのです。







「私の子どもたちへ」1993年 高石ともや&ナターシャセブン

















  

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by 2006taicho | 2016-08-05 00:59 | 知っておきたいこと | Comments(0)