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知っておきたいこと

1941年の大西洋憲章

大西洋憲章(Atlantic Charter)は、1941年8月14日締結
アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトと、イギリス首相のウィンストン・チャーチルによって調印された憲章。
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読み飛ばしてもらっても結構ですが、なぜこれを掲載したかというと、この憲章が後の国連憲章の基礎になるからです。

8項目からなり、その内容は要約すると以下になる。
1.合衆国と英国の領土拡大意図の否定
2.領土変更における関係国の人民の意思の尊重
3.政府形態を選択する人民の権利
4.自由貿易の拡大
5.経済協力の発展
6.恐怖と欠乏からの自由の必要性(労働基準、経済的向上及び社会保障の確保)
7.航海の自由の必要性
8.一般的安全保障のための仕苧組みの必要性

この憲章を結んだ時、イギリスは対ドイツに大苦戦していて連戦連敗状態でした。
日本もまだ真珠湾攻撃もしていませんでした。
一方アメリカはまだ参戦していませんでした。
それどころか、少し前までヒトラー率いるドイツに武器輸出さえしています。
アメリカの世論は当時はアメリカの参戦に反対していました。
四ヶ月後、25カ国が参加して連合国軍が結成されてゆきます。

国内では連戦連敗中の国と、戦争に参戦もしていない国の首脳がこの時期すでにこういうことを考え同意していたことは驚きです。
第二次大戦終結後の世界のあり方を考えていたということです。

そして四年後の同じ日、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏しているのです。
(天皇の玉音放送は翌日)


余談ですが、エドウィン・O・ライシャワー氏をご存知の人もいるかと思います。
日本生まれで、再婚した相手は日本人で、歴代駐日大使のなかでも一番の親日派です。
この人は戦争中は日本語の翻訳など軍の情報収集を任されていましたが、日本への占領政策については天皇制を残すべきだと主張していました。
日本の敗戦を見越した占領政策まで考えて、軍に進言していたわけです。
ライシャワー氏はベトナム戦争反対、沖縄返還を主張し、最後はアメリカ政府の政策に異をとなえ辞任しています。
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by 2006taicho | 2016-07-26 06:50 | 知っておきたいこと | Comments(0)

おかしいことはおかしいと言う


by rei7955