「流星ひとつ」沢木耕太郎 新潮社 2013年出版
沢木耕太郎は今から30年以上も前の1979年に歌手の藤圭子にインタビューした。
そのとき、藤圭子は28歳で引退宣言をしていて、年末の最終公演を控えていた。
浪曲師の両親のあいだに生れ、中学を卒業した日に東京へ出てくる。
幼いころの貧乏の苦労話、目の不自由な母親への思い、父の暴力におびえて育ったこと、19歳で前川清との結婚、離婚の真相、のどの手術によって、声質が変わってしまったことへの絶望感。
インタビュー記事は完成したが、藤圭子が、もし将来歌手に復帰することがあったらこの本が足かせになるのではという理由から出版は見送られていた。
藤圭子は最終公演を終えるとハワイへ旅たち、そのごニューヨークに移り住む。
沢木と藤圭子はそのご二度と会うことはなかった。
引退した藤圭子はその後、宇多田氏と結婚し、娘を授かる。
宇多田氏とはそのご離婚し、娘のヒカルは有名な歌手になり、藤圭子の娘だということが世間に知れる。
そして2013年藤圭子は自殺。
沢木は再度出版社に相談し、編集者の一声に出版を決意する。
「これはヒカルちゃん読んでもらわないと」
それにしても娘のヒカルも19歳で結婚し、その後離婚、活動休止宣言したのも同じ28歳という年齢。
純粋で歌うことに真剣だった28歳の藤圭子を世間に知ってほしい。
なにより、母親の病気のことしか知らないだろう娘の宇多田ヒカルに知ってほしい、引退後、こころの病で自殺した元歌手というイメージで藤圭子を終わらせたくない沢木はそう考え出版を決意した。
演歌は好きじゃなかったけど、藤圭子は好きだったなあ。
特にデビューしたときのヘアスタイル。
演歌を歌う人で初めてファンになった覚えがある。
人との付き合いというか、不器用そうな感じがよかった。
なにより唄に迫力があった。
自殺のニュースを聞いたときは本当にショックだった。
ちあきなおみは復活してくれないかなあ。
それにしても前川清はいい人なんだなあ・・・・。
沢木耕太郎は今から30年以上も前の1979年に歌手の藤圭子にインタビューした。
そのとき、藤圭子は28歳で引退宣言をしていて、年末の最終公演を控えていた。
浪曲師の両親のあいだに生れ、中学を卒業した日に東京へ出てくる。
幼いころの貧乏の苦労話、目の不自由な母親への思い、父の暴力におびえて育ったこと、19歳で前川清との結婚、離婚の真相、のどの手術によって、声質が変わってしまったことへの絶望感。
インタビュー記事は完成したが、藤圭子が、もし将来歌手に復帰することがあったらこの本が足かせになるのではという理由から出版は見送られていた。
藤圭子は最終公演を終えるとハワイへ旅たち、そのごニューヨークに移り住む。
沢木と藤圭子はそのご二度と会うことはなかった。
引退した藤圭子はその後、宇多田氏と結婚し、娘を授かる。
宇多田氏とはそのご離婚し、娘のヒカルは有名な歌手になり、藤圭子の娘だということが世間に知れる。
そして2013年藤圭子は自殺。
沢木は再度出版社に相談し、編集者の一声に出版を決意する。
「これはヒカルちゃん読んでもらわないと」
それにしても娘のヒカルも19歳で結婚し、その後離婚、活動休止宣言したのも同じ28歳という年齢。
純粋で歌うことに真剣だった28歳の藤圭子を世間に知ってほしい。
なにより、母親の病気のことしか知らないだろう娘の宇多田ヒカルに知ってほしい、引退後、こころの病で自殺した元歌手というイメージで藤圭子を終わらせたくない沢木はそう考え出版を決意した。
演歌は好きじゃなかったけど、藤圭子は好きだったなあ。
特にデビューしたときのヘアスタイル。
演歌を歌う人で初めてファンになった覚えがある。
人との付き合いというか、不器用そうな感じがよかった。
なにより唄に迫力があった。
自殺のニュースを聞いたときは本当にショックだった。
ちあきなおみは復活してくれないかなあ。
それにしても前川清はいい人なんだなあ・・・・。
by 2006taicho
| 2016-05-06 02:37
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