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隊長ブログ

知っておきたいこと

原発のうそ 核のゴミ


これから始まるごみ問題
廃物を生み出す全体像


原子力発電所を動かすためには、原子力発電所だけがあればいい訳ではありません。そのために必要な一連の工程を次頁の図 12 に示します。

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原子炉を動かそうとすれば、まずウラン鉱山でウランを掘ってこなければならず、その段階からすでに厖大な放射能の廃物を生じます。掘ったウランは原子炉で燃えるように濃縮し、加工したりしなければなりませんが、その過程でもまた廃物が出ます。
さらに、原子炉を動かせばその段階でもたくさんの廃物が出ると同時に、使用済みとなった燃料は厖大な死の灰の固まりとして、人類の未来に大きな負債となります。

現在日本には 53基、4700 万 kW 分の原子力発電所が動いており、私たちは
電気が欲しいといって原子力発電を動かしながら、毎年、広島原爆約 5 万発分
に相当する死の灰を生み出しています。
日本で原子力発電が始まって以降、原子力発電はたしかに 5 兆 kWh を超える電力を生み出しました。
しかし、その陰では不可避的に死の灰も生み出し続け、すでにその総量は広島原爆 100万発分に達しています(図 13 参照)。

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正直に言うと、私自身その恐ろしさを実感できません。
日本人の一人ひとりが等しくこの放射能に責任があるとは思いませんが、もし原子力の恩恵を受けている今の世代の人間が等しく責任を負うとするならば、セシウム 137の減衰を考慮してなお、わずか 170 人で広島原爆 1 発分の放射能に責任を負うことになります。

人類初の原子炉が動き出したのが 1942 年でした。
それ以降すでに 60 年以上の歳月が過ぎ、その間死の灰を死の灰でなくそうと研究が続けられてきましたが困難はますます増えるばかりで、一向にその方法が視えないままです。
そうなれば、できることはただ1つ、死の灰を人類の生活環境から隔離することしかありません。放射能には、それぞれ寿命があり、一口に「死の灰」といっても、寿命の長いものも短いものもあります。
代表的な核分裂生成物、セシウム 137 の半減期は 30 年です。それが 1000 分の 1 に減ってくれるまでには、300 年の時間がかかります。その上、原子力発電が生み出す放射能には、もっとずっと長い寿命を持った放射能があります。たとえば、プルトニウム 239 の半減期は 2 万 000年で、それが 1000 分の 1 になるまでには 24 万年かかります。
原子力発電所の使用済み燃料(あるいはそれを再処理して生じる高レベル放射性廃物)は100 万年に渡って人間の生活環境から隔離しなければならない危険物です。
日本では現在、青森県六ヶ所村に建設された貯蔵施設に、およそ 50 年間を目処に一時的に貯蔵して当座をしのいでいます。そして、2000 年 5 月に「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」が成立し、その廃物は、深さ 300~1000mの地下に埋め捨てにする方法が唯一のものと決められました。
しかし、どんなに逆立ちして考えたところで、100 万年後の社会など想像できる道理がありません。もちろん現存しているすべての国は消滅しているでしょうし、人類そのものも絶滅しているかもしれません。その頃にもし人類がこの地球上に存在していれば、地下 1000mなど、ごく普通の生活環境になってしまっているかも知れません。
結局、人類は原発が生み出す廃物の処分方法を知らないまま今日まで来てしまいました。
いまだにその処分法を確定できた国は世界に1つもありません。

ウラン残土すら始末できなかった日本原子力の推進派は、原子力の場合、発電所に搬入しなければならない燃料の量が他の発電方式に比べて圧倒的に少ないと主張します。しかし、元をたどってウラン鉱山まで行けば、図3に示したように 240万トンもの残土(放射能を持った廃物)が鉱山周辺に捨てられています。

日本では 1955 年末、人形峠でウランが発見され、その後約 10 年にわたって試掘が行われました。その間、取り出されたウランはわずか 85 トン、100 万kWの原子力発電所 1 基の半年分の運転を支えるにも足りないほどのわずかな量でした。
結局、人形峠周辺には採算がとれるようなウランは存在していないことが分かり、鉱山は閉山しました。一方、試掘によって掘り出されたウラン鉱石混じりの残土は、人形峠周辺の民有地を中心に合計で約 45 万 m3、ドラム缶に詰めれば 225 万本分が野ざらしにされました。
1990 年に一度は住民と協定書を結んで残土の撤去を約束した動燃(動力炉核燃料開発事業団、現日本原子力研究開発機構)は、撤去先がないことを理由に放置を続けてきました。
住民は苦悩の果てに、残土の撤去を求めて裁判を起こしました。2002 年 5 月になって地裁が動燃に 3000m3分の残土を撤去するよう命ずる判決を出し、動燃は控訴しましたが、高裁も最高裁も原判決を支持して動燃の敗訴が確定。動燃は残土を撤去せざるをえなくなりました。
動燃は撤去を先延ばししながら、住民の懐柔を図りましたが、住民は強固な意志を貫徹して崩れませんでした。
結局、動燃は、この残土を日本国内ではなんらの始末もつけることが出来ずに、残土のうちウラン濃度の高い一部、290m3 の残土を「鉱石」として米国の製錬会社に搬出しました。何と、その費用は6億 6000 万円、仮に製錬してウランを得たとしてもその価値は高々100 万円です。
このような行為は到底商取引ではありませんし、自分で始末のできないごみを外国に輸出する公害輸出の典型です。
おまけに、裁判で撤去を命ぜられている残りの残土はいまだに行き場のないまま不法に住民の土地に置かれたままです。さらに 45 万 m3に及ぶ残土はどうすることもできません。

こうして、原子力開発の最初に生じる残土すら、始末ができないままです。ましてや、100 万年の隔離を要する高レベル放射性廃物など、一体、どうやって始末するというのでしょうか? なすべきことは簡単です。自分で始末を付けられないようなごみを生む行為は、やめてしまえばいいのです。
「原発のうそ」 小出裕章・著



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原子力に夢と希望を抱き、研究を進めてゆくうちにその恐ろしさを知り、原子力の研究者でありながら反原発を訴え続けた気骨の人。当然、周囲の冷ややかな目は止まず、出世もあり得ませんでした。
今年の3月に定年を迎え京大を退官しました。
by 2006taicho | 2015-06-07 23:00 | 知っておきたいこと | Comments(0)

おかしいことはおかしいと言う


by rei7955